古代中国は思想の根源が眠っていておもしろい!たとえ苦手でも、少しずつ理解が進めばそう思える時がやってきます
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本記事では、群雄割拠と呼ばれた古代中国の「春秋戦国時代」において芽生えた、ユニークな思想群「諸子百家」について詳しくまとめます
*本記事の内容の、諸子百家の各思想家とその思想の一致ができれば、大学受験の世界史ではこの範囲はパーフェクトです
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「諸子百家」が誕生した背景
当時の中国は春秋戦国時代と呼ばれ、小国たちによる覇権争いが絶えない時代でした
そんな春秋戦国時代とは「周」が犬戎(異民族)の攻撃を受けて東へ移動してから「秦」の再統一までの時代のことをいいます
で、周の東への移動(東遷)の後、「周」の勢力・権威は徐々に衰退したけども、その周りの諸侯たちはリスペクトしてました
そう、大事なのでもう一度。各地の諸侯が「覇権」を争うのが春秋戦国時代なのです。要するに、「誰がトップじゃー!俺じゃーー!あん?」って世界です
以下の地図を見てみると、春秋の五覇(この時代でTUEEEした5つの諸侯)を中心に、敵の敵は敵のような関係を感じられるでしょう
出典:wikipedia
そんな戦乱の時代の最中台頭してきたのが、抜本的な改革思想をもつ諸子百家たちです
「諸子百家」たちの出現
春秋時代末期から戦国時代にかけての時代に、「斉」の都、臨淄(りんし)を中心に続々と世の中に変革をもたらす思想家たちが現れました
- 儒家
- 墨家
- 法家
- 名家
- 道家
- 縦横家
- 雑家
- 農家
- 陰陽家
- 小説家
- 兵家
のように種々雑多の「家」=思想家たちが出てきます。「子」とは先生・師匠の意味ですが、書いたようにいろ〜〜んな種類の思想・考えを持つ先生・師匠的な存在が際立ちました
当時の乱世を生き抜くためには、生きる方策ばかりか、治世のあり方まで、幅広い知恵が求められたんですね....
その先駆けの思想家に「儒家」がいます。具体的にみてみましょう
*この「諸子百家」の思想は、世界史YoutuberのMundi先生の講義を聴くと一気に整理できますよ!
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諸子百家その①:儒家
儒家はあの「孔子」の思想をもとにした学派です
出典:Hitopedia
特に、家族への「愛」と「道徳(仁)」から教えを発して、人を思いやる心を持とうぜ!って「徳治主義」を説きました
彼の教えはあの有名な『論語』でまとめられて中国本土だけじゃなく、東アジア全域へバズることになります
お・も・い・や・り
これが孔子の教えの根源にあるのです
孔子の後継者として、人の本質は「善」である!!という「性善説」を唱えた孟子や、真反対に「性悪説」を唱えた荀子がいます
人は生まれながらにして「善」なのか、はたまた生れながらにして「悪」なのか...
そのあり方によって対人関係や治世の在り方も変わる!と唱えられたのが今から約2200年前なんですね
いまだに一つの答えは出ておらず、人間として生きる上での永久の哲学的課題なのでしょう
さあ、「諸子百家」の先駆けとして出てきた儒家の思想ですが、次々と批判の目にあっていきます
諸子百家その②:法家
「法家」の代表的な人物は韓非!
出典:レキシル
いや、待てよかっこいい
そんな韓非を代表とする法家は、「信賞必罰」を大義名分に、人民を統治すべきだろう!って学派です
儒家の「愛」や「徳」の概念で人たちを律するなんて無理ゲーだろうと否定して、ぎっちりとガチガチのルール)法によって人を律する「法治主義」を唱えました
これは後の「秦」の時代の始皇帝によって採用され、国家形成におおきく貢献しました
諸子百家その③:墨家
「儒学」を学んだ後、みずからの学派をひらいた墨子の思想です。戦国時代においては儒家と双璧をなすポピュラーな思想でした
出典:ペルー倶楽部
で、この墨子さんは「儒家」の思想を否定します
具体的には、儒家の「愛」や「仁」が血縁関係や家族に限られてるところを指摘しました
いや、みんな愛せばよくねーか
って。
結果、無差別に人を愛しなさい!っていう「兼愛」や、攻撃・侵略を全否定する「非攻(攻撃非らず)」を唱えました
THE・平和主義者な墨子でした
諸子百家その④:道家
「道家」は「礼」や「道徳」を捨てて、人が仲介しない、ありのままで生きようぜ!と唱えました
これを「無為自然」と呼びますが、代表的な人物は老子と荘子です
出典:老子
この老子・荘子による思想なので、道家の思想のことを「老荘思想」とも呼びます
でもどうして、ありの〜〜ままの〜〜なのか??
それは、「好きの反対が無関心」である説に関係してきます
儒家や法家の思想は、人間関係における「愛」を説いたり、「愛」なんて存在しないからがちがちのルールで統治しよう。というものでした
人間って、あれしなさい、これしなさい、あれはだめ、これはだめって超〜〜〜疲れるんですね
そこでこの老荘思想では、「こうあるべき!!」という理想に疲れた人たちの拠り所となりました
人の生き方はむりに立身出世をするんじゃなく、「道」に身を委ねて、ありのまま生きたらいいじゃん?って思想ですね
これが好きの反対の無関心。
国のあり方についても、富国強兵を志して人民を厳しく統治するのではなく、自然体でまるで国家や王朝が存在しなかったように感じらるのが理想であるとされました
Let it gooooじゃん
そして後の世の三国時代にこの老荘思想はバズりましたとさww
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結局、皆んなが苦しんでるのは放っておけなかった
本記事では、春秋戦国時代の戦乱の中に芽生えた「諸子百家」たちによる思想についてまとめました
大学受験の世界史では孔子、孟子、荘子をはじめとする「諸子百家」たちの思想の内容を中心に暗記すれば得点できます
でも、本当に大切なのは、「どうしてそのような思想が芽生えたのか?」「どのような文脈で発生しうるのか?」などを考えることです
諸説もありますが、「敵の敵は敵」の乱世は多くの人の犠牲・苦しみをうみだしました
人間は生物的な特質として「共感」や「同情」の感情を備えてます。そんな苦しみの情景を見てられない状況が、これら「思想家」の感情を駆り立てるものとなったのでしょう
平和に生きたいんじゃ。
平和の実現を模索した「諸子百家」たちの奮闘を少しでも垣間見えたら幸いです