可愛い可愛いルックスしてるけれど、一体お前何者やねん!
本記事では「マカロンの正体は?」の素朴な疑問を、世界史好きとして解決してみよう!という企画です
かわいいかわいいポップなカラフルマカロンの歴史をみていきましょう!(この子↓ ↓ )
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そもそもマカロン、お前はなんだ?
マカロンはそもそもいつ・どこで生まれたスイーツなの?!
この可愛らしいルックスじゃなく・・・マカロンの「原型」とも呼べるものは、
今から1300年も前の700年頃にフランス真ん中の村「コルメリー」で焼き始められたそう
*それがこんな姿のものです⬇︎ ⬇︎
出典:Cormery's macaroons - Loches Touraine Loire valley
中世ヨーロッパの時代から作られて、食べられてたなんて驚きですね
このマカロンの原型は「簡単に焼けるし、一口サイズでクッキー感覚で食べやすい」ことから大衆の人気スナックになったとされます
そのレシピはめちゃくちゃシンプルで
- アーモンドパウダー
- 小麦粉
- 卵白
だけなんです。はい、誰もが認めるシンプルな材料ですね
(マカロンの語源は、”きめ細やかな粉”のマカローニの意味なんですよ〜)
ちなみに、当時は砂糖はまだ発見されてなく、ヨーロッパにも届いてません(*砂糖が入ってくるのは15世紀の大航海時代をきっかけに、でしたね)
ですので、マカロンの原型の甘みは、ちょっとした贅沢に、はちみつが混ざり合わさる程度だったのです
素朴さを極めるグルメが「アーモンドパウダービスケット」で、マカロンの原型というわけです
甘さはアーモンドのほのかなもので、焼き上げた香ばしさが味を引き出しました
中世ヨーロッパでは、畑仕事や家畜の世話などの、ちょっとしたひと休憩のお供だったのかもしれませんね
やっぱり思いますが、この通り、もはや今のルックスとの変わり具合はもはや原型をとどめてないですよね
とはいえ、お菓子の原型ってほとんどがこんなルックスじゃないかな!と思ったりします
パティシエ(お菓子職人専門の人)すらとても希少だった時代ですので、
砂糖もない時代の焼き菓子はどんなに工夫を加えてもこんなでしょう笑
出典:What are French Macarons? — Sweet Darling Pâtisserie
では一体、今となってが大人気の、「あの可愛い可愛いマカロン」にどのように近づいていくのか?!
マカロン・ヒストリーはさらに展開します
新マカロンはイタリアから逆輸入?!
もともとの原型はフランスの小さな村で食べられてました
今のかたちに最も近くなるのは、イタリアのヴェネチアにおいてです
それは
東のアラブ商人が食べていたお菓子と合体した説
が濃厚だとされてます
この時、イタリア(ヴェネツィアとかミラノは独立した公国でした)とアラブ世界でスパイスの交易・交換がめちゃめちゃ盛んでした
調達したスパイスを、他のヨーロッパ諸国に売り飛ばして、ヴェネツィアは超リッチになりあがってました
世界史では鳥瞰的な視点で『東方貿易』と習いますね。受験世界史では必須の用語です
もちろん、そこに『マカロン製法』が伝わったなんてだーれも教えてくれないwwww
一体誰が『マカロン製法』を発展に寄与する役割をになってたのかというと、
イタリア・ルネサンス(芸術がめちゃめちゃ盛んになる)のパトロン=メディチ家の、カトリーヌ・ド・メディシス王妃だとされています
彼女はイタリア生まれ育ちのお嬢様です
なんといっても超巨大財閥的メディチ家の生まれは、もはやチートですww
メディチ家は、ダヴィンチやボッカチオなどのルネサンスの頃の芸術家の後援者(パトロン)にな理、投資すると共に後ろで支えてました
アラブ世界(東方)と他のヨーロッパ間の中継貿易の手数料がこの巨万の富の根源とされてますね
晩餐会なんかは、この世の天国じゃないんかぐらい豪華絢爛なご馳走だらけだったようです
そんなカトリーヌですが、結論をいうと、カトリーヌの専属シェフが、見た目もポップなマカロンへと変化させました
今までは、単なるアーモンドパウダーの焼き菓子に過ぎなかったお菓子だったのですが、
芸術の時代という時代背景が、見た目(ルックス)重視に傾注し、マカロンの華やかさをかき立てるようになったのです
そして彼女はデューク・ドゥ・オルレアン(フランス人)と結婚します
日本語で言うならオルレアン公で、オルレアン家の公爵です
嫁ぐという言い方が適切ですね。彼女はフランス王妃として第二の人生を歩むことになります・・
フランスヴァロワ王朝アンリ2世として君臨した彼
妃のカトリーヌ・ド・メディシスの好物、マカロンを知ることになります(フラグですねww)
世界史上では残忍な妃としてしられるカトリーヌ・ド・メディシス
以外にもポップで心が踊るようなマカロンを伝えたのは意外ですね
まさにこの瞬間、イタリアからフランスへの「マカロン改」の逆輸入が発生したのでした・・・
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パリジャンのマカロン現る!
ここまで書きましたが、マカロンの変遷の歴史は未だに謎が多いのが実態です
フォトジェニック的なルックスでバズることもなく、流行ることもなく、結局19世紀をむかえます
その課程において、少しずつ、少しずつアレンジをみせていきます
老舗「ダロワイヨ」が「マカロリス」と呼ばれる表面がつるっとしたものに改良しました
そして、アーモンドのクリームをサンドしたものを作って、パリで売り飛ばすようになりました
次いで、あの有名なパティスリー「ラ・デュレ」の登場です
1862年パリに創業した「ラ・デュレ」のパティシエが、全面的に売り出されることになります
西洋菓子の聖地でもあるフランス。パティシエたちの激しい激しい競争がうまれます
精鋭のパティシエたちがしのぎを削り、売れるマカロン作りの戦い勃発します
この競争の最中、まるで夢の世界の小石のようなカラフルマカロンが完成するのです
「どうやったらこのマカロンは流行るのか?」
と競争に駆り立てられたパティシエたちの努力の結晶と例えても良いでしょう
こうしてパリ中にカラフルなマカロンが広がり、日本にも上陸するに至ったのでした😌
以上になりますが、ここまでをまとめると、もともと、マカロンのオリジナルの原型は『アーモンドパウダーと卵白の固め焼き』でした
フランスに伝わり、食べやすさの追求からサインドイッチスタイルになりました
そして様々な歴史的な変遷を経て、食用食紅といったカラフル材が投入され、今のマカロンの姿になりました
僕が感じたのは
シンプルなものが波及する勢いはすごい
ということです
食べ物の世界史をみても、爆発的に流行るものは食べやすく運びやすいシンプルなものという特徴があるように思えます
かつてのパンケーキの原型が古代ギリシャにあるように、シンプル材料の素朴な焼き菓子・素朴な焼きパンは、歴史上である意味で進化のプラットフォームな役割だったのかもしれませんね
ぜひぜひ、マカロンを食べる時には「あっ原型はフランスの小さな村コルメリーにあるんだった。コルメリー様あざます」
と感謝でもしましょーね。それでは「マカロンの歴史」で本記事はおおくりしました!お読みいただき、ありがとうございました🤗