世の中には、高級と呼ばれる食べ物、庶民の食べ物、と呼ばれるものが存在していました(いや、今もか?!)
今となっては、スーパーや八百屋さんで、ごろごろ転がっているものも、昔では、喉から手が出るほど欲しい食べ物だったのかもしれません
例えばパイナップル
でーーーーん!
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時々より酸っぱく、時々より甘く、お手軽なトロピカルフルーツ
今から500年前は、超超超超超高級フルーツということをしっていましたか??
本記事では「パイナップルの歴史」について迫ります
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パイナップルの発見
今からおよそ500年くらい前の、大航海時代
コロンブス(コロンブスの卵とかで有名?)の第2次探検隊が、西インド諸島で発見!これが、1493年の出来事!
西インド諸島って言われても、僕たち日本人にとっては、具体的に地図が思う浮かばんってところ
俗に言う、カリブの海賊とかカリブ海で有名なあのあたりなのです!
*具体的には、今の地図で、”グアダルーペ”と言う島国なのです
カリブ海諸国は、日本のほぼ正反対、行く機会はほとんど無いですよね
でも、スーパーに並ぶパイナップルはここにルーツがあるんです!
超超超高級品の実態
コロンブスの冒険隊が見つけた時よりも前、すでに、グアダルーペに住んでいた人たちは”贅沢品”とか”至高の果物”
と、このような名前で崇めていたことが伝えられています
大航海時代に植民地開拓をめがけてアメリカ大陸へやってきた人々にとって、この果物は今まで経験したことの無いほど、甘〜いもので、誰もが欲しいものでした
その大航海へと掻き立てる、好奇心・冒険心の象徴にもなっていたのです
なぜなら、ヨーロッパでは寒冷な気候の関係でパイナップルの栽培は当時は無理ゲーでした
加えて当時は冷蔵庫なんて存在するわけないので、保存もできません
冒険家たちが、パイナップルを船に積んで、大海原を横断して、持ち運ぶほかありませんでした
到着したパイナップルはまた次の冒険へと掻き立てる連鎖が続きます
カリブ海からの旅路は容易なものでなくパイナップルの積み荷は暑さや湿気で腐ってしまうことも...
完璧な状態で持ち運ぶことはほとんど困難とさえ言われていました
これがさらに値段を跳ね上げたわけです・・・
この宝石級の美味しさは瞬く間に、ヨーロッパ各地へ噂が広まります。しかし、ものの値段は、”需要”と”供給”によって決まります・・・・・
大海を渡って到着するパイナップルはごくごく少数。一方で求める人々は、超超超大人数
パイナップルの価値は、とてつもなく高かったのは、言うまでもないでしょう
*パイナップル1つで、馬車が買えるくらいでした。いや、やばすぎ!
当時の農民などの庶民は、口にするなんてできなかった果物なのですね。いやあ、恐ろしい。
王室御用達のシンボル
パイナップルの価値の絶頂期、王室の御用達の果物にもなってしまいます
それはそう。1番よいとされる食べ物は、王様の元へ当時運ばれます
なぜならば、王様が倒れては、国が滅んでしまうからという(だからってパイナップル・・・?www)
例えば、イギリスのチャールズ2世(1630-1685)なんかは、パイナップルをかなり愛でていた王様として知られています
パイナップルは富や権力のシンボルとなって、王室の窓や壺のモチーフにもなり、貴族たちの晩餐会にはパイナップルがテーブルの中心に置かれる程でした
このようにして、みんなが欲しぃぃ!!!と思うものが希少なほどその価値が爆発的に上がります
こうしたものが王様の権力の象徴になるのはグローバルヒストリーあるあるですね
パイナップルの大栽培時代へ!
近世に移る頃、オランダで初めて温室のパイナップル栽培が可能となりました
トロピカルフルーツのパイナップルの特徴・育成条件を攻略したのです
また、同時に東南アジア諸国への植民地化も進んでゆくわけですが、天然のパイナップル栽培に挑みます
するとフィリピンでも、マレーシアでも、インドネシアでも育つことがわかる!
結果的に、地球上のパイナップルの供給の数は爆発的に伸び、相対的に、価値が下がってしました。結果、王室のシンボルとしてアホらしくなってくるわけです
かつてのパイナップルの絶頂期の栄光は薄れ、庶民の手にも渡り、もちろん日本にもオランダによってパイナップルが渡ってきます
現在となっては、日本にあるパイナップルのほとんどは、東南アジアの国々からやってきます
むしろ彼らのおかげで、手軽なフルーツとして、かつての王室御用達の超超超高級品を味わえているわけなのですね