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好きなことの発見より、好きなことに変化させる工夫の施しの可能性【ピーマンと仕事】

『好きなことで生きる』、そんなキャッチフレーズを耳にするようになって歴史はまだまだ浅い世の中である。

 

胸に手をあてて、確信と自信とともに、今やっていることが好きで、それで生活が成り立っているという方はどのくらいの割合でいるのだろうか。現実には謎につつまれている。

 

 

一方で『好きなことで生きていない』⇒

『生きるためにせざるを得ない』

 

 

そんな環境に身を置いている人たちはどのくらいの割合でいるのだろうか。

それもまた正確に割合を出すのは困難で、謎に包まれいる。

 

 

しかし、『好きなことで生きる』の言葉が”理想論”として語られるケースが多く見受けられることから、反意語の、”現実論”として『生きるためにせざるを得ない』と答える人たちの方が上回りをみせるのではないか。との推測から、今回の記事の幕をこじ開けよう。

 

 

単刀直入に結論から。

 

 

今ある”現状”、自身を取り巻く環境を好きになる工夫をすることこそが、

 

『好きなことで生きる』と述べることのできるようになるまでの現実的戦略である。

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これから述べてゆく内容は、現状の打破や変革を志すというよりは、むしろ、『未だに自身の真に好きなことを特定できない』と思い悩ませる私と同世代の人々へむけた私からの一方的なメッセージであるかもしれない。

 

 

というのも、こうしたキャッチフレーズが社会にあまりにも浸透しているが故、好きなことをやらなければ、見つけなければいけないという義務感、責任感からの病も同時に蔓延していると伺えるからである。

 

そして、あくまでも独自の視点を意識し、

今ある現状(仕事・学業etc)を好きになれる工夫の術を述べてゆきたい。

 

”好きなこと”が好きでなくなる可能性

仮に”好きなこと”に思い当たる節があるとし、それを追い求め、職に繋げてゆきたいとするならば、そこには”好きでなくなる”可能性が潜んでいるということを始めに伝えたい。

 

当然のことながら、”好きなこと”と”できること”は異なる。

 

また、その”好きなこと”が社会的価値を有し、相応の対価を得られるのかどうかも新たな問題として浮上する。

 

 

簡潔に述べるなら、趣味と職業の違いであると理解できよう。

 

少ない例であるが、趣味としての料理、歌、スポーツ、釣りなどが存在することと同時に、職業としての調理師、プロの歌手、プロスポーツ選手、漁師が存在する。

 

 

”好きなもの”からその延長を突き詰め、職業として確立するためには、誰もが知る通り数多くの壁が立ち高る。趣味は自身の満足に浸るための行いであるのに対し、職業は自分以外の人々を満足に至らせるべき責任と義務が伴うからである。

 

 

現実に寿司を溺愛する者が、寿司職人を目指すが、現実としての厳しい修行の場と現実としての自身の実力に落胆してしまい、好きであった寿司が好きでなくなる可能性がある。それらは常に表裏一体の関係にあり、それはどの趣味から職業への架橋の段階においても潜む試練であろう。

 

 

つまり、好きなことの特定を目指す段階で、その”好きなこと”が”好きでなくなる”可能性が潜んでいることを留意すること。

 

 

次に、その”好きなこと”であろうものを継続して取り組むことで、社会的価値を有する潜在能力があるのか、またその社会的価値として受け入れられるまでの道筋を自分自身で描けるか否かが要となってくる。

 

以上を踏まえたうえでも、堅固な志を依然として有する者であれば、

彼ら彼女らを私は全力で応援する!!!!

 

予期しなかったことが”好きなこと”になる可能性

本記事で最も強調しておきたい主張である。

また、好きなことを特定しなければいけない義務感や責任感からの解放の有効な手段である。

 

そもそも、”好きなこと”となる可能性とは、その仕事や学業に踏み入れることを予期していなかったり、あるいは、些細な好奇心のみがその分野に踏み入れる原動力であったり、とりわけ大きな関心を寄せていなかったが、蓋を開けてみると結果的に”好きなこと”となった状況と言えるだろう。

 

極端な例を述べると、嫌いなピーマンが好きになったような感覚とでもいえようか。

 

仕事・学業とは全く対象が異なるが、同じ論理の上にあげて考えることが可能であろう。

 

味も香りも食感も、過去においては憎かったピーマンをこれほどまでに好きになれる。

そこには、ただ1つ、好きになれる”工夫”が施されていたからである。

 

好きなことにするための工夫

こうしたピーマンの論理は、仕事・学業にも適用可能であると考える。

どんなに興味がなく、どんなに大嫌いであったとしても、どんでん返しは起こりうる。

 

 

ピーマンが好物となった結果には、そこにおける好きになった状態までのプロセスにさまざまな工夫が施されていたのだと先に述べた通りであるが、具体的にはどのような工夫であろうか。

 

  • 細かく刻み、他の料理(チャーハンなど)に混入させる。
  • 目と鼻をつむり、なるべく五感を制御する。
  • 大好物なたべものと同タイミングに口へ運ぶ。

など、枚挙にいとまが無いはずである。いや、有ろう。

 

 

これを仕事のケースに当てはめてみたらどうであろうか。

 

例を1つ挙げるならば、

データ収集やリスト作成など単調でつまらなく、好きではなかった作業をも、好きなことへと変化させる工夫も可能である。

 

 

リストが埋まってゆくプロセスは、まるでポケモンのレベル上げてゆく作業に類似しており、ゲームのような感覚でサクサクコツコツと積み重ねて、ひとつの作業の完了へとたどり着く。

 

 

些細なキモチの持ち方ではあるが、好きなものを没頭している自分を想定しつつ、その感覚を今の作業に映し出すことが今回のケースの鍵ではないかと思える。

 

 

勉強においても、世界史登場人物らの名前を暗記することと、ポケモンの名前を暗記する作業自体には、対象が異なるだけであり、なんら大きな違いはない。

 

 

次第に、こうした単純作業が苦痛ではなくなり、最終的には大好きとは言えないまでも、好きと言える瞬間は訪れるのではないだろうか。

 

工夫の仕方次第で、どのような仕事内容であれ、好きなものへと変化させるポテンシャルは常に眠っているのである。

 

まさに、【ピーマンと仕事】理論である。

 

おわりに

『真に好きなものを特定できない』それが故に、新たな仕事や学業に踏み入れることに躊躇いを抱く人々は少なくないはずである。

 

しかし、以上に見たように、好きなことが嫌いになる場合もあれば、好きでもなかったことが好きになる可能性は常に転がっている。

 

 

可能性の話として今回は踏みとどめておくが、また機会があれば、リアルな経験を交えながらも、【ピーマンと仕事】理論のより踏み込んだ立証を試みたい。

 

現段階で、好きなことを極めてゆきたいという者には覚悟を持ち挑み続けて欲しい。

 

現段階で好きなことに取り組めていない、あるいは見つかっていないという者には、それらを”好きなこと・もの”へと変えられる可能性を模索し続けてほしい。

 

 

あのピーマンが大好きなものとなったように。

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