しぇあ・ざ・わ〜るど

しぇあ・ざ・わ〜るど

おもろく、新しい教授法の世界史をめざします

古代イラン(パルティアとササン朝)の興亡とイランの文化【大学受験解説】

スポンサーリンク

古代オリエントの中の「イラン史」には以下のような流れがありました

 

メディア(エクバタナ)→ アケメネス朝(スサ)→ アレクサンドロス大王帝国セレウコス朝(セレウキア⇨アンティオキア)→ パルティア(ヘカトンピュロス⇨クテシフォン) → ササン朝(クテシフォン)

 

 これまでは、アケメネス朝の興亡を中心にダレイオス1世の業績まで学びました

 

関連:古代オリエントの再統一とアケメネス朝ペルシアの盛衰【大学受験解説】

 

その後、ペルシア戦争・アレクサンドロスの支配の経験を経て、ギリシャ世界と融合します。これをヘレニズム時代と呼びますね!

  

 

アレクサンドロスの死後、3つの国(アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア)に後継者争いを経て分裂します

 

ãã«ãã£ã¢

出典:バクトリアとパルティア - 世界の歴史まっぷ

 

古代のイラン(イラン高原の位置)は、ギリシャ世界・中国世界・エジプトから訪れる人の交流の要所!

 

その中継貿易は利益率の高〜い非常に儲かるビジネスで、競争率も高く、この地域を支配できることはそれだけ名誉だったのです!

 

アレクサンドロスの帝国が分裂した後のイランの世界をみていきます。受験でよ〜〜く出るのは以下の3つの国です!

 

  1. セレウコス朝シリア
  2. パルティア
  3. ササン朝ペルシア

 

*ペルシア戦争・アレクサンドロスの支配については「ギリシア世界」にて!

 

セレウコス朝シリア(都:アンティオキア)

houses in the hill

 

アレクサンドロス大王の死後、ディアドイコイ戦争(後継者争いのバトル)が勃発し、後継者の一人のセレウコスが前312年に建設した国です

 

f:id:makoto-endo:20190101231118p:plain

出典:バクトリアとパルティア - 世界の歴史まっぷ

  

*ただ、受験の世界史では、あまり問われません

 

前63年にローマ帝国のポンペイウス率いる軍にギッタギタのボッコボコにされ、滅亡します。受験ではこのくらいです笑

 

セレウコス朝シリアの弱体化の原因は、国内から独立する王朝がでたり、ギリシャ風のゼウス信仰の強制に対するユダヤ人の反発などがありました・・

 

(統治下手くそ〜〜^^;)

 

 

セレウコス朝シリアから独立した国

ヘレニズム時代(オリエント+ギリシャの混合の時代)の結果、文化がミックスしましたが、「わしはわしらでいくよーー!」と、セレウコス朝から独立する国があります

 

ギリシア系のバクトリア(アム川上流)とギリシア系のペルガモン(小アジア)、そしてユダヤ人国家のハスモン朝、シリア都市のパルミラです 

 

ヘレニズム時代でギリシアとオリエントが混合して多民族国家ができたものの、「ギリシアはギリシアやー!」「ユダヤはユダヤやー!」と民族的なアイデンティティが萌芽する一場面ですね〜

  

パルティアの建国(都:クテシフォン)

view of mountain during day time

 前248年〜226年(前3〜後3と覚えよう!)まで存続したイラン系の国!

 

セレウコス朝シリアから独立し、族長のアルサケスが築いたのでアルサケス朝とも呼びます!

 

最初の都はヘカトンピュロス、のちにクテシフォンに遷都します

 

*難関大では最初の都ヘカトンピュロスはよく出ます。「ヘカトンピュロス→クテシフォン」の流れを覚えましょう

 

最盛期:ミトラダテス1世(前171〜前138)

パルティア最盛期の王様!!

 

彼は「シリア・イラクに攻めるぞ〜〜!^^」とガンガン版図を広げ支配下におさめます

 

狙いは、東西の中継貿易を独占して、手数料・関税をがっぽり儲けること!そしてさらに国をパワーアップさせること!統治者として有能ですねー!

 

f:id:makoto-endo:20190101234318p:plain

出典: バクトリアとパルティア - 世界の歴史まっぷ

 

前63年〜前64年にローマのポンペイウスがセレウコス朝シリアを滅ぼすと・・なんとパルティアとローマが接するように・・

 

パルティアは、ローマのクラッスス軍とのカルラエの戦いに大勝するものの、さらなるローマの干渉や内紛で弱体化・・・紀元後226年にササン朝ペルシアに負け、滅亡します^^;

 

パルティアの文化・経済

 ギリシア文化の影響を受け、建国前期はギリシア語(コイネー)が話されてました。しかーーしどんどん薄れていき、ペルシアっぽくなります

 

アラム語が公用語になったり、ゾロアスター教の信仰が再開したり、「俺らイラン人!イラン文化を戻そうぜ^^」という文化の復興がおこなわれました

 

ササン朝ペルシア(都:クテシフォン)

2 person standing beside brown building

 農耕系イラン人が都パルティアに建国した王朝!

  • パルティア:遊牧系
  • ササン朝:農耕系 

と、生活慣習の違いも要チェックです

*入れ替えの正誤問題でよく出てきます

 

 

ササン朝ペルシアで覚えるべき王様は以下の3人です

 

  1. アルデシール1世の建国
  2. シャープール1世の統治
  3. ホスロー1世の全盛期

 

アルデシール1世の建国

226年、アルデシール1世率いる農耕のイラン人は「パルティアなんてオワコンやーー!!」と勢いよく滅ぼし、ササン朝ペルシアを建国します

 

*ササンは、建国主アルデシール1世のおじちゃんに由来するそうで、彼はおじいちゃんっ子だったようです。ササンじいちゃんリスペクト^^

 

都はパルティアと同じクテシフォンに置かれ、ここでイラン独特の文化ができあがっていきます

 

出典:【第3回】古代イラン文明 |

 

アルデシール1世は、ペルシアを尊重する王様、ペルシア復興を掲げた王様です。彼はアケメネス朝ペルシア国王の後継者を自称し、ゾロアスター教を保護して国教にします

 

アルデシール1世:「ほな、ワイらペルシア人は有能な文化の持ち主やで。そんな王に君臨したワイは、王の中の王や^^」

 

と、「王の中の王」(諸王の王)を自称します

 

 

(痛すぎわろた)

 

 

シャープール1世の統治

アルデシール1世の後を継いだ王様!

 

ササン朝の領土をイラン高原から、東へ西へと拡大させ、ササン朝ペルシアの帝国支配を確立させます

 

シャープール1世:「パッパのアルデシールを継ぐで。領土は広くなったし、イラン人以外も統治せなあかんな。そんなワイも王の中の王やで^^」

 

として、東はインドのクシャーナ朝、西はローマ帝国との戦闘を繰り広げます

 

260年、ローマ帝国軍をエデッサの戦いで負かし、ローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にするほどです

 

が、しかーーし!5世紀頃中央アジアに遊牧民族のエフタルが存在感を放ち、ササン朝ペルシアを圧迫しはじめます

 

5ä¸ç´é ã®åé¸ã¢ã¸ã¢å°å³

 出典:ササン朝 - 世界の歴史まっぷ

 

☑️教科書でも「圧迫」という表現があります。最初はなかなかイメージしづらいですよね

具体的に言えば、「エフタルは遊牧騎馬民族なので、俊敏さと火力は優れてるし、いい環境をめざして移動する。その先がまさにササン朝ペルシア。農耕系のササン朝VS遊牧系だと遊牧系の方が馬術で小回り効くので戦闘するなら有利 。ゆえに圧迫。」でしょう

 

そんな中、大敵エフタルを退治し、ササン朝ペルシアの全盛期へ導く王様が登場します

 

 ホスロー1世の全盛期

 

ホスロー1世:「なあ、突厥(遊牧国家)氏よ。ワイらと手を組んでエフタルってやつボコボコにしないかい?^^お互いにとってwin-winでしょ?」

 

というわけで、557年頃トルコ系遊牧国家の突厥(とっけつ)と手を組んで、長年の宿敵、エフタルを滅ぼします

 

6ä¸ç´æ«ã®åé¸ã¢ã¸ã¢å°å³

出典:ササン朝 - 世界の歴史まっぷ

 

また、東の方にはビザンツ帝国(ユスティニアヌス)と対峙してにらめっこが続きますが、561年、「まあ、仲良くやっていこうや^^」と、50年の平和条約を結びます

 

関連:ビザンツ帝国の盛衰について概観する【受験世界史解説】 - しぇあ・ざ・わ〜るど

 

そして、宗教政策も秀逸!!

 

ホスロー1世:「ゾロアスター教はこれまで口承だったしなーそろそろかたちに残さなきゃ消えてまうで^^;」と、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』を編纂します

 

また、ゾロアスター教から分かれたマニ教マズダク教も禁止にします

 

理由は、このマニ教・マズダク教の教義には「私有財産の廃止」「富の分配」があり、税金の回収が滞ってしまうからでした^^;

 

ササン朝の滅亡へ

 次のホスロー2世は、ビザンツ帝国の混乱に乗じて攻めに攻めます

 

しかし、このササン朝とビザンツ帝国の激しいバトルが繰り広げられると、商人は「こんなとこ、商売できたもんじゃなねーーわ!」と、メソポタミアを結ぶ東西交通路が衰退します・・

 

一方で、アラビア半島のアラブ人は隊商交易を行い、メッカ・メディナの街が潤い、イスラームの台頭を待つことになります

 

 

642年、ニハーヴァンドの戦いで、当時のササン朝のヤズデギルド3世は、もりもりに盛り上がるイスラームのジハード(聖戦)集団に敗北、とうとう651年、ササン朝ペルシアが滅びます

 

イランのイスラーム化へ

世界史あるあるで、もともと信じられてた宗教・もともとそこで話された言葉は、新しい勢力によって取り込まれて、融合・混合する特異な文化がつくられます

 

このイランも例外ではなく、イスラーム勢力の支配以降、ゾロアスター教が大多数を占めて中、じわりじわりとイスラーム教徒が増えていきます

 

このプロセスを「〜〜化」を世界史では呼び、この場面では「イランのイスラーム化」と呼び、世界史ではよ〜〜く出てくる現象なので覚えておきましょう!