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中世イスラーム文明・文化の芽生えと「外来の学問」【大学受験解説】

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本記事では、受験世界史の「イスラームの学問」について解説します

 

*イスラーム史前半の『通史』は以下の記事をどうぞ!

関連:世界史の【イスラーム史】がごちゃごちゃしちゃう?【イスラーム史】の覚え方と勉強法を教えるわ

 

*またイスラームの言語、アラビア語についてはこちらをどうぞ!

 

関連:難しい?!アラビア語のおすすめ参考書と勉強方法【初心者〜中級者編】

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イスラームの「外来の学問」

White and Gold Mosque Near High-rise Buildings

イスラームでは、聖典クルアーンとイスラーム教にもとづいたイスラーム世界ならではの「固有の学問」が発達しました

 

  • アラビア語:言語学
  • イスラーム教:神学・法学
  • ハディース:歴史学

 

 がイスラーム信仰のなかから生まれた学問になりました。受験世界史で覚えておきたい有名な学者と業績を以下の記事にまとめました!

 

関連:中世イスラーム文明・文化の芽生えと「固有の学問」【大学受験解説】 

 

では「固有の学問」とはちがう「外来の学問」ってどこからの学問なんでしょうか

  

イスラーム文化史の中で、「外来の学問」は、ギリシャ・インド・ペルシャから伝わってきた学問のことをいいます!

 

 

以下の地図のように、イスラーム帝国のアッバース朝の時代には、超広範囲にイスラームがはいっていきましたね〜

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出典:イスラーム文明の発展 note_0504

 

で、特に具体的にどんな学問?かといえば、

  • 哲学
  • 論理学
  • 地理学
  • 医学
  • 数学
  • 天文暦学
  • 光学
  • 錬金術

 でして....

 

しばしば「外来の学問として適切ではないものを選べ」のような問題がだされます

 

イスラーム関係の歴史学・神学を速攻で外せば問題ありません。このように入試では「外来の学問」と「固有の学問」ができるかどうかもきかれます

 

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「外来の学問」と学者たち

 

受験世界史の文化史の基本スタンスは、人物とその業績・作品できるまで覚えることですね

 

本記事でも「外来の学問」で秀でたイスラームの学者たちと業績についてみていきます

 

イブン=ルシュド@コルドバ

出典:イブン・ルシュド - Wikiwand

 

ラテン語の名前はアヴェロス(これ大事!)

 

彼は、アリストテレスの哲学を紹介して、そして後のスコラ哲学におおきな影響を与えました

 

関連:古代ギリシャ哲学の流れをざっくりまとめる!おすすめのギリシャ哲学書も紹介!【入試対策にも】

 

彼は、医学・天文学・神学・哲学を研究し(超ハイスペックwww)、当時1147年のムワッヒド朝の王様につかえる医者になったり、アリストテレスの本をアラビア語に翻訳したり、偉大な業績をのこしました

 

イブン・バットゥータ@モロッコ 

Harîrî Schefer - BNF Ar5847 f.51.jpg

イブン・バットゥータ - Wikipedia

 彼は1304年のマリーン朝のモロッコに生まれ、イスラームの聖地メッカの巡礼をこころざして故郷を出発しました

 

そして、アフリカから西アジア、南ロシアやバルカン半島や中央アジア、インドを巡って、スマトラをへて、中国の泉州(ザイトン)や北京にもおもむいた、大旅行家!!!(いや行き過ぎだろ)

 

 

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イブン・バットゥータ - Wikipedia

 

 

大航海時代より前(約200年前)超ポイントで、踏み入れる先がまだまだ「未知」の世界でした。、普通の人にとっては異常とも映る行動だったのかもしれません

 

彼の旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』は、偉大な書物で、彼の壮大な「旅」を感じとることができます

 

関連:世界史に名を残した超有名な5人の「旅人」たち!

 

 

イブン=シーナー@ブハラ

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出典:イブン・スィーナー - Wikipedia

 

ラテン語の名前はアヴィケンナ(これ大事!)

 

サーマーン朝のブハラ(今のウズベキスタン)に生まれて、アリストテレスの哲学を勉強し、そして16歳の若さにして医学を学びます。この時点でハイパーエリートです

 

サーマーン朝が999年に、カラ=ハン朝に滅ぼされ、「ん〜あぶねえな、治安。」って不安が高まった矢先、彼はブハラを離れます

 

そして、中央アジア・西アジアを放浪することに....(中世の優秀な学者たちって放浪しがちですねw行動力異常w)

 

そして、古くから伝わるアラビアの医学に、ギリシャやインドの医学知識を合体させた、『医学典範』を書き残しました

 

 

*イブン=シーナーは15歳の時に、独学でアリストテレスの超難解な哲学書の『形而上学』にふれました

 

40回読み返し、ほとんどを暗記しました。けれども、全く理解できず絶望してしまいました...

 

「ワイ、この本を理解するのは無理ゲーなのか・・・orz」と諦めてたところ、バザール(市場)でこの本の注釈書を偶然手に入れることができました

 

注釈・解説をたよりに、これまで理解できなかったところが「しゃ!わかった!!」と読解につながりました。嬉しくなったあまり、神に祈りをささげて、貧しい人々に食べ物・お金の施しをしたそうです

 

「外来の学問」は知恵の館で...?

 

このように、イスラームの学者たちはギリシャ・ペルシャ・インドから伝わった学問を発展させ、新しくイスラームの中で開花させました

 

アッバース朝の首都バグダードでは、ギリシャ世界からよせられたギリシャ語文献が「アラビア語」に翻訳され、知の本拠地として栄えました

 

バグダードにある知の研究所は「知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)」と呼ばれます。バイトは「家」、アルはアラビア語のTHEの意味、そしてヒクマとは「知恵」の意味です

 

なんとも中二病なネームかっこいい名前ですよね

 

 

このように、ギリシャから伝わった「知」はアラブ世界で翻訳され、それがのちにヨーロッパへと流れてラテン語に翻訳される

 

この「知」の流れはとても大切なので忘れずにおさえましょー!