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世界史に超インパクトを与えた女性たち【「女性史」は大学受験で頻出です】

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世界史の中で、十分には取り上げられてこなかった「女性」

 

200年以降にかけて、「女性」の社会進出の影響からとても大切なテーマになってきてますね

 

「女性」に対する価値観は、その社会変動・に伴って変化してきましたし、これからも社会動向によって変化するでしょう

 

本記事では、主に大学受験に登場する「女性」を取り上げ、彼女たちの当時の社会に残した業績をまとめます

 

  1. 「女性」に対する価値観の変化
  2. 「女性」のテーマに基づく入試問題

 

に詳しくれると思うで、さくさくっと読み進めてくださいね

  

*尚、時代・地域問わずミックスなので、ごちゃごちゃにならないよう注意してください😌

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テオドラ@ビザンツ帝国

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出典:テオドラ (ユスティニアヌスの皇后) - Wikipedia

 テオドラ姫は、東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后(受験世界史では超超マイナーなキャラクターです)

 

テオドラの夫のユスティニアヌス帝は東ローマ帝国の内政・外政で偉大な業績を残した皇帝です(受験世界史では超超メジャーなキャラクターです)

 

関連:ユスティニアヌス大帝とテオドラのラブラブ関係の話【世界史の超大物夫婦】   

✔︎テオドラのエピソード

ユスティニアヌス帝への民衆の怒りが爆発したニカの乱が首都のコンスタンティノープルで発生ました。そこで、追い詰められたユスティニアヌス帝に対して

 

「帝衣は最高の死装束ですわよ」

 

と、皇帝に声がけをしたことは有名なエピソードです

 

たとえ命を落とす運命に向かおうと、人生を全し、後悔の人生を歩むなと、 絶望的な状況でも、芯を貫き通すことの大切さをテオドラは伝えました 

 

クレオパトラ7世@プトレマイオス朝エジプト

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引用:クレオパトラ7世 - Wikipedia

 世界三大美女で有名なクレオパトラ!(正確な名称はクレオパトラ7世)

 

 彼女は古代エジプトのプトレマイオス朝の最後の女王で、あのローマのカエサルと結んで支配権を握ります 

 

クレオパトラは、エジプトの港町アレキサンドリアに上陸したローマのカエサルとの密会に成功、カエサルを味方にしてしまったのです

 

✔️クレオパトラのエピソード

クレオパトラが絨毯にくるまって延臣の目を欺して、カエサルの前に現れては彼の心を虜にしてしまった..

 

これはシェークスピアの芝居の中でも有名なシーンですね。それを表すように、

 

「クレオパトラの鼻がもう少し短かったら世界の様相が変わっていただろうに」と、帝政ローマ時代の叙述家のプルタルコスは残します

 

 彼女の魅力は世界をも動かしました

関連:『世界史』の格言(名言)をまとめるよ!『世界史』を楽しく勉強しようやって話 

 

 ジャンヌダルク@ヴァロワ朝フランス

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出典:ジャンヌ・ダルク - Wikipedia

 1339〜1453年までのイギリスとフランスそれぞれの王様どうしの戦争(百年戦争)の中、劣勢のフランス軍を救ったとされる少女

 

「天から啓示を受けたぞよとジャンヌダルクはフランス王太子のシャルルのもとに行き、フランス軍の指揮を任命されます

 

ジャンヌダルクの指揮のもと、百年戦争はフランス軍がもりかえし、フランスは救われたと言い伝えがあります

 

しかし、最終的には宗教裁判にかけられ「異端!」と判決をくだされ、火刑に処される運命に...

 

✔️ジャンヌダルクのエピソード

 ジャンヌダルクはもともと農家に生まれたひとりの娘でした

 

彼女がある日、羊の番をしてる間に「大きな光」が目の前に出現したと言い伝えられてます

 

その正体は、大天使ミカエルと聖女カトリーナと聖女マルゲリータだそう...

 

もし今の時代にそう言い放てば「ちょwおまw」と相手にされない可能性は大です。でも当時は全く背景がちがい、カトリックが全ての世界観です

 

「天から降ってきた声」と自信に満ちたと様子で力説できたのも、彼女自身がとても信心深いカトリック信者だったことをしめすのかもしれません

エリザベス1世@テューダー朝イングランド

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出典:エリザベス1世 - Wikipedia

 「わたしはイギリスと結婚したのよ!」とみずから豪語し、イングランドの政治に尽力をつくして、テューダー朝絶対王政を築きあげました

 

彼女は、「イギリス国教会の確立」、「国際的なステータスの向上」、「経済力のパワーアップ」 を成し遂げ、強いイングランドにむけて貢献しました

 

例えば、当時のイングランドはまだまだフランスとスペインに遅れをとってましたが、

アルマダの海戦ではスペインの無敵艦隊(くそかっこいー)を打ち破って、国際的なポジションを一気に高めることに成功します

 

✔️エリザベス1世のエピソード

 イングランドの黄金時代を築いたエリザベスの性格は、嫉妬深くて短気だったようです。特に女性への嫉妬心はえぐかったとか...

 

自己の性格を認知してたことから、「仲良くせず仲悪くせずが外交・人間関係の秘訣なのよ」とつよく語りました

 

そんな彼女の性格から、両極端をさけつつ中道をつらぬいた宗教政策をおしすすめ、極端を排除しながらイングランドの安定がもたらされました

 

 エカチェリーナ2世@ロマノフ朝ロシア

Catherine II by J.B.Lampi (1780s, Kunsthistorisches Museum).jpg

出典:エカチェリーナ2世 - Wikipedia

1762〜1796年に死去するまでロシアの女帝として君臨したエカチェリーナ2世

 

生まれ育ちはプロイセンの出身、しかもロシア人の血はまったくないなか、気合と根性と持ち合わせた運で、ロシアのトップオブトップにのぼりつめます...

 

*アート・芸術に造形が深かったエカチェリーナ2世の治世には、膨大なコレクションが収容される「エルミタージュ美術館」が建造されました

 
 
 
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✔️エカチェリーナ2世のエピソード

女帝になる前のエカチェリーナ2世は夫のピョートル3世とは不仲な関係にありました

 

彼は病弱で、当時の危機的な財政状態をかかえるロシア皇帝として、その統治能力と政治力が徐々にオワコン化してました

 

そんななか、反ピョートル派の貴族と近衛部隊とむすんで、ピョートル3世にクーデタをしかけたのです・・

 

たとえ夫であろうともロシアの立て直しには手段を選ばなかったエカチェリーナ...「大帝」と呼ばれるのも納得ですね...

 

「女性史」はよくでるテーマ

woman sitting on gray rock

本記事では受験世界史で「女性史」がテーマで取り上げられる時、必ずといっていいほど登場する人物たちを紹介しました

 

古代のギリシャでは、女性は奴隷の身分、そして時代が進むにつれて「女性」への価値観は変わり、1893年のニュージーランドで初めて女性は参政権を獲得しました

 

世界史はまだまだ「男性」中心の歴史が描かれる傾向にあり「女性」からみた世界史はまだまだ希薄であるように思えます

 

今回は国にインパクトを与えた「女性」をとりあげましたが、今後は「社会」の中の「女性」について、社会全体をみる視座から書いていきますね!受験生の参考になれば幸いです😌