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世界史におけるカトリックの主要な「公会議」【大学受験解説】

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世界史は「公会議」が多すぎ!

 

本記事にて、高校世界史の「公会議」についてその名称と意義を時系列順にわかりやすくまとめます

 

「この公会議の意義は??」「この公会議の概略を説明せよ!」の問題も多く出題されます

 

ポイントは...

  1. 公会議の名称を覚える!
  2. 公会議の内容を覚える!
  3. 場所・年号まで覚えられたら最高

 

ですので、難しいことは特にありません

 

ただ、複数の公会議があるので、それぞれの名称と意義がごちゃごちゃにならないように工夫しましょう

 

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そもそも「公会議」??

Crucifix Illustration

 

古代ローマ帝国において、キリスト教は迫害と苦難と連続と同時に、公認へと向かう動きも出てきました

 

 

世界史での「公会議」とは...

最初の会議に始まって、以後21回開催された、ローマ・カトリック教会の『教義』を決定する会議のこと

で、キリスト教の教義上の正当性(正しいこと)を守って、異端(NG)を排除することが主な目的

 

 

*公会議」は英語でcouncilで教会会議と訳され、よく「宗教会議」と訳されがち...。ですが厳密にいうと、両者は異なる存在です

 

  • 公会議:教皇が全教区の枢機卿・司教・神学者を集めて、教会の教義・規則について決定する最高の会議
  • 宗教会議:地域ごとの大司教・司教をちゅ真に、教区の司祭や修道院長がおこなう会議

 

キリスト教の世界ぜんた〜〜いの会議は「公会議、地域の教会の会議を「宗教会議」と呼び分けができます

 

*ざっくり「なるほどなあ!」と思ってもらえたら十分OKです

 

 

ニケーア公会議 325年

コンスタンティヌ帝の治世の313年に、ミラノ勅令が出され、この勅令によってキリスト教信仰がローマ帝国内で公認されたことが背景にあります

 

コンスタンティヌス帝は「 そうやキリストの教義を話し合う、最初の会議を開催しようや!」ってことで、自らキリスト教徒の彼が主催して、ニケーア公会議を開きます

 

*場所は小アジアのニケーアです

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出典:ニケーア公会議

 

325年のニケーア公会議では、「イエスは神ではない!」とイエスの神性を否定するアリウス派と、「イエスは神である!」とイエスの神性を認めるアタナシウス派が激しく論争しました

 

結果、「アタナシウス派」が正統、「アリウス派」が異端とされ、ローマから追放されました...

 

  • 場所:ニケーア
  • 内容:アリウス派を異端、アタナシウス派を正当
  • 年号:325年

 

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エフェソス公会議 431年

431年、東ローマ帝国皇帝のテオドシウス2世が開催しました

 

*場所は、小アジア西岸。ミレトスと一緒にイオニア地方の中心都市として栄えました

出典:エフェソス/エフェソス公会議

 

4世紀のキリスト教の正統の教義とされた「アタナシウス派」の三位一体説をNOOO!!!とする有力な「ネストリウス派」の是非に関して議論が交わされました

 

 

つまり、「イエスは単一の神じゃなく人の性質もあるー!どっちも!」って主張です。しかし、議論の末、異端とされます

 

 

ちなみに、「ネストリウス派」はコンスタンティノープルの総大司教のネストリウスにちなんでます

 

 

*その後、「ネストリウス派」のキリスト教は東方に広がって、ササン朝ペルシアや中国において流行しました

  • 場所:エフェソス
  • 内容:ネストリウス派を異端
  • 年号:325年

 

カルケドン公会議 451年

 451年、東ローマ皇帝マルキアヌスが開催しました

 

*場所は、コンスタンティノープルの対岸のアジア側にある町です

出典:カルケドン公会議

 

キリストの人性(人の性質)はこの世で神性(神の性質)と一緒になった単一の存在であると主張する「単性説」の是非が議論に上がりました

 

この「単性説」は、当時キリスト教の正統の「アタナシウス派」の三位一体説にNOOO!!!といい、その是非について論争が繰り広げられ....

 

カルケドン公会議の結果、「単性説」が異端(NG)となりました

 

*その後「単性説」はエジプトでコプト教、アルメニア教会、エチオピア(アクスム王国)にひろがって、今でも残存しているのです

 

  • 場所:カルケドン
  • 内容:単性説を異端、三位一体説を正統
  • 年号:451年 

 

コンスタンツ公会議 1414年

世界史の時代は進み、1414年、神聖ローマ皇帝ジギスムントの提唱によって開催されました

 

*場所はドイツ南部のコンスタンツという街です

Karte Konstanz in Deutschland

出典:コンスタンツ公会議 - Wikipedia

 

背景に、1378年から1417年の間にローマ教皇位が分裂し、ローマとアヴィニョンに並立した教会大分裂(大シスマ)があります。ローマ教皇の選び方をめぐって、教会に分裂が生じたことですね

 

で、コンスタンツ公会議の大きな目的は

  1. 大分裂で生じた3人の皇帝並立状態の解消
  2. ウィクリフ・フス派などの異端の排除
  3. モラルの腐敗をなおし、教会改革

でした。もちろん1が主たる目的です

 

 結果、並立する皇帝3人が退位して、1417年マルティヌス5世が唯一のローマ教皇になり、教会の統一に成功しました!

 

*難関大の入試問題で、マルティヌス5世はごく稀に出題されます!大シスマ終焉のタイミングで誕生した皇帝なので、歴史的意義は大きいのです

 

また、ボヘミアのフスが異端として有罪となって火刑に処されました....

 

  • 場所:コンスタンツ
  • 内容:教会大分裂(シスマ)の終焉
  • 年号:451年 

 

 

トリエント公会議 1545年

カトリック教会の体制立て直しをねらう教皇パウルス3世が招集した公会議!1563年まで断続的に開催されました

 

*場所は南チロルの都市、トリエントという街!

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出典:トリエント公会議 - Wikipedia

 

「信仰義認説」を唱えるルターが台頭し、宗教改革が激しく行われた時代でもあり、カトリックのアイデンティティの再確認が求められました

 

こうした宗教改革に対して、カトリック教の姿勢をもう一度明確にしよう!として、カトリック教会の刷新と、自己改革の推進力になりました

 

1555年にアウクスブルクの宗教和議でルター派を認めるなど、プロテスタントに妥協をみせつつも、カトリックの内省を深くおこないました(反宗教改革)

 

 

  • 場所:トリエント
  • 内容:カトリック至上主義の確認、宗教裁判所の設立、免罪符販売の禁止
  • 年号:1545年 

 

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 大事な決め事の「公会議」

高校世界史の主要な「公会議」をまとめました!得点源にするポイントをもう一度整理すると....

 

  1. 公会議の名称を覚える!
  2. 公会議の内容を覚える!
  3. 場所・年号まで覚えられたら最高

 

で、基本的には公会議の名称と内容の一致がウルトラスーパー大事ですね

 

宗教史・カトリック教会史は入試頻出のテーマ史なので、対策しておいて損はないはずです!

 

ちなみに、全体の通史はスタサプは超定番。中世・近世も早く進めたい!という人はぜひペースを上げて、独学にチャレンジしてみましょう!

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