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中世ヨーロッパの幕開け!「ゲルマン人の大移動」の流れを地図でしっかり整理すれば点を稼げるぞ

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世界史では年代区分を基準に勉強をすすめるとはかどりますが、

  • 「中世ヨーロッパの始まりがいきなりややこしい!!!」
  • 「ゲルマン人の大移動ってごちゃごちゃしすぎ、半端ないって!」

って不満をぶちまける人も多いはずで、今一度ゲルマン人の大移動を整理しようって企画!

世界史は「なぜ?」と「その後は?」の流れが超肝なのでこれらをきちんとおさえます 

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ゲルマン人の大移動の背景!なぜ大移動?

まず、ゲルマン人とはどのような特徴の人たちなのかというと・・

 ゲルマン人は、インド=ヨーロッパ語族に属し、現在のイギリス(英語)、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語などの共通の祖先である。身体的な特徴は、長身、ブロンドの髪、碧眼、高い鼻などがあげられる。

 引用:世界史の窓、ゲルマン人

で、今の北ヨーロッパにこのような特徴の人がたくさんいますが、彼らです!

もともと農耕と牧畜でほのぼの暮らしてましたが人口爆発に伴い、西へ西へケルト人たちとバトルするようになります

 

ケルト人は西ヨーロッパ地域の先住民とされ、文字をもたなかった民族として有名で、ローマ帝国の人たちからはガリア人とも呼ばれてました (ちなみにハロウィーンの起源はケルトですな)

関連:ハロウィーンの起源を特定!ケルト民族とサムハイン儀式の神秘をさぐる 

 

で、こんな地域一帯に居住する民族が一斉移動した要因は、モンゴル平原のフン族(アジア系遊牧騎馬)が一斉に西へ西へと大移動して、ゲルマン人たちが玉突きのごとく押し出されたから、と教科書ではよく説明されてます

 

でも玉突きのごとく押し出された?ってスケールデカすぎじゃあないですかw

今一度、人が場所を変えるきっかけを考えてみると....

  1. じぶんの場所が危険すぎて移る他なくなった(ネガティブ)
  2. 他の場所がじぶんの場所よりも快適だから(ポジティブ)

に大きく分類され、おそらくモンゴル平原の食糧不足が一番の原因だとされます

で、ゲルマン人たちも人口増加で苦しんでたので彼らもされに移動した、そんな流れ!

 

またフン族たちは巧みに馬と武器を操り次々と他民族の命を奪っていく、恐ろしい民族という正体も「危険からの退避」をゲルマン人に促しました...要は「ここから離れてもっといい場所探そうぜ!!」ってモチベが大移動を引き起こしました

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そして、大量のゲルマン人がとうとう動き出した

さあ、フン族の圧迫によってゲルマン人たちが西へ西へと大移動を繰り広げます

 

ここからが要注意!「ゲルマン人の大移動ってごちゃごちゃになるから大嫌い!」って人が続出するように、世界史の中でも少しややこしい箇所です

 

※この分野でセンター試験・私大試験で満点とるならパノラマ世界史がわかりやすくておすすめで、地図と合わせて「この民族はここの場所へ!」を瞬時に答えられるようになります

センター試験全般については以下の記事を参照してください

 

関連:初心者が『世界史』のセンター試験で満点をとる独学勉強方法をまとめた!【偏差値30から神へ】 

 

で!!まず、ゲルマン人の一派の東ゴート族がフン族に屈してしまいます、これが375年で、同年に「俺らもやばいんじゃね?」ってことで、同じく一派の西ゴート族たちが移動にうつります

 

彼ら西ゴート族が当時のローマ帝国領土に入ると、周辺のゲルマン人たちが触発されて次々に移動をはじめたのです、これが本当にカオスなので要整理ですね

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出典:世史の歴史まっぷ

 上の図と照らし合わせながら説明していきます

 

ゲルマン人の一派、ヴァンダル族は北アフリカまでび移動しましたが、この移動は最長の移動なので受験ではめちゃくちゃ問われます

 

もともと地中海の都市カルタゴのところにヴァンダル王国(429~534年)を建国!

ブルグンド族は現在のフランス東南部に移動ししブルグンド(ブルグント)王国(443~843年)を建国し、ランゴバルド(ロンバルド)族は北イタリアにランゴバルド王国(568~774年)を建国しました 

ã¨ã¼ã­ããä¸çã®å½¢æã¨çºå±出典:世界の歴史まっぷ

特に西ゲルマンの人たちは移動というより、じぶんたちの領地を守ったままじわじわ広げていく戦法をとりまして、「海に渡ればあいつら(フン)も追ってこれないんじゃね?」ってことで、ゲルマン人のアングロ・サクソン族は現在のイングランドへ渡り、七王国(ヘプターキー)を建国します

 

そして、西ゲルマンのフランク族によってフランク(フランスの語源)王国が建国されて、大移動で混沌と化したヨーロッパ大陸はひとまず国の集合体をもとに、落ち着きをみせていきました

ゲルマン人の大移動で試験に出るのはこれ

ゲルマン人の大移動の試験に出るポイントは...

  1. 各民族の移動先と建国名!
  2. 部族の主要な王様と有名な戦い!
  3. 各部族の滅ぼされ方!

でして、1は無限に地図をみながら整理していくのがベストでしょう

 

2に関して、例えばフン族の英雄アッティラは、東ローマに圧力を加えて、今のハンガリー(当時のパンノニア)を支配下に置きましたが、西ローマ、西ゴート、フランクの連合軍と戦った戦争がありまして、それが451年のカタラウヌムの戦い!(めちゃくちゃ出題されます)

 

3についても、ゲルマン人の大移動をきっかけにローマ帝国は東西に分裂するのが395年、そして西ローマ帝国はまもなく滅亡しますが、東ローマ帝国はオスマン帝国に滅ぼされるまでの1000年以上もの間存続します

 

そこで、大移動に絡んで「東ローマ帝国が滅ぼしたゲルマン人たちの国は??」って問題がでるので、東ゴート王国とヴァンダル王国が、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の超有名人ユスティニアヌス大帝によって滅ぼされました、とこれをフレーズごと覚えてたら勝ちゲーです

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 中世ヨーロッパのはじまりはじまり??

中世の幕開けはこのゲルマン人の大移動の時期とされてますが、

歴史家の解釈によっては様々にまだ分かれているようです

 

ある人は476年のロムルス・アウグストゥルスの退位の頃と唱えたり、

ある人はメロヴィンク朝のクローヴィスの治世(481年〜)と唱えてり、

はたまた751年、カロリング朝のピピン3世の治世の頃と唱える人もいるくらいです

 

古代から中世の区分についてはまだまだ定まってはいないものの、

一般的な了解ではこのゲルマン人の大移動と共に幕開けとされてるので書かせてもらいました

 

そんな話はさておき、ここで伝えたいのは「人が移動するのはどうゆう時?」ってことで..

  1. じぶんの場所が危険すぎて移る他なくなった(ネガティブ)
  2. 他の場所がじぶんの場所よりも快適だから(ポジティブ)

と書きましたが、今の時代にも通じてる法則がみえてくるはず

 

中東のISの台頭で大量の難民がうまれて、ギリシャ方面の欧州へと大移動した直近の歴史は、「危機からの退避」を映しだすゲルマン人の大移動を想起させられる歴史的法則でしょう。それが時代の転換期となるかどうかは、今後100年後の人類が振り返った時にわかるはず

 

っとまあ、「ゲルマン人の大移動」は奥が深〜い歴史事象ってこと

なんども繰り返し地図とにらめっこすれば、おそるるに足らない範囲です