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グローバルヒストリーの時代やで!

【世界史マイナー史】アルジェリアの歴史についてさくっと概観をまとめたよ!大学受験範囲外?んなもん気にすんな

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高校の世界史では、【アルジェリア史】はフランスの植民地史の枠組みの中で少ししか触れられてませんね

 

*アルジェリアこそアフリカで最も巨大なイスラーム国家で存在感は抜群だし、もっと知る機会があってもいいかなーって思ったのでさくっとアルジェリア史について書きます

 アルジェリア史はここから!

今のアルジェリアには今から1万年もの昔、人類が生活していた、その痕跡が残されてます 

 

アルジェリア南東部、サハラ砂漠にある山脈の、【タッシリ・ナジェール】にはカバ、ワニ、ゾウ、キリン、バッファローなどの大型動物が描かれて、当時のサハラ砂漠は緑豊かな様子が想起されられます

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出典: Wikimedia Commons

 大型動物はおそらく食料だったのでしょう

ブーメラン、投げ槍、棍棒、斧、弓を持った人間の姿も彫刻されてて、狩猟時代のリアリティが伝わる壁画がここにあります

 

でも・・紀元前2000年頃からサハラ砂漠がいよいよサハラ化?!、乾燥してしまい、動植物も生命を保てなくなると、この壁画文明が衰退していきました・・時代のミステリーを感じます

 

で、先住民のベルベル人たちがほのぼ〜〜のアルジェリアの地中海サイドで暮らしてました

 アルジェリアの地中海料理はまじでうまい!ベルベル人たちは相当なグルメな民族だったはず・・クスクスを見れば一目瞭然ですなあ!

 

関連記事: 北アフリカ料理ってうまい!異文化ミックスの『アルジェリア料理』を紹介する! 

 

そして地中海貿易の覇者、フェニキア人たちが植民市を建設!

 

地中海を囲む世界において、ヒトとモノの行き交いで活況に満ちてましたが、その後ローマ帝国の支配によってアルジェリアはローマ帝国の属州になりました・・・

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 ローマ帝国はアルジェリアへ

ローマ史は受験世界史の大舞台ですが、帝国が強大化属州を拡大したとは習ったものの、属州の歴史には触れられない・・!

ここがマイナー史としてのアルジェリア史の面白みだったりします

 

誰が何やった、誰が何を奪ったって暗記項目としては成り立ちますが、覚えるだけの丸暗記の歴史は使えたもんじゃないので・・

 

世界史を勉強する時には「流れ!ストーリー!」って教わりますよね、「出来事のなぜ?とその後の連結を上手にせーや!」ってことです。

 

例えば教科書では一口に「ローマでは属州から安価な穀物が・・・・中小農民は没落しました」って記述がありますが、丸暗記はNG!

 

アルジェリアこそ、ローマ帝国の支配の元でローマの【穀物庫】の異名を持ってたって知ってましたか?それ故に大切なのはわかりますよね!

 

ローマが衰退に向かう「なぜ?」に着目すると、

ローマ帝国拡大➡︎大土地所有制の発展➡︎安い小麦の大量生産➡︎地元土着の地方農民没落

 

この図式が思う浮かぶはずで、もっと具体的につっこむと・・・

  • ローマ帝国が属州を広げて領土が増えた。(特にアルジェリアへ!)
  • 土地が増えたぶん、耕せる畑が増えた。
  • 大量の穀物をつくることができた。
  • 植民した奴隷(人件費なし)に大量に作らせ、大量に穀物ができ、穀物の価格が下がった。
  • 地元の中小農民の稼ぎが悪くなった。オワタ。

これがローマに生きる人たちを苦しめることになる、いわば流れ・ストーリーです。アルジェリアとローマ帝国はこのようにリンクしてるのですね

 

で、395年にローマが東西分裂した後、あのユスティニアヌス帝の東ローマに滅ぼされてアルジェリアは東ローマ帝国へ組み込まれていきます

関連記事:ユスティニアヌス大帝とテオドラのらぶらぶ関係の話【世界史の超大物夫婦】 

イスラームもアルジェリアへ

イスラームがアラビア半島で勃興すると、ウマイヤ朝は隣国チュニジアを拠点に北アフリカを支配しました(皆はマグリブって呼びますね!日の沈むところって意味!)

 

巨大イスラーム帝国、アッバース朝の時代には領土拡大しすぎたあまり、「キャパオーバーとなって、地方に権力が分立したぞ!」って話しましたが、その一部の地方権力が、アルジェリアの土地になります

 

777年(お、いい数字!)、初のイスラーム化したアルジェリアの王朝、ルスタム朝が建てられましたが、強国ファーティマ朝によって滅ぼされました

 

以後、ベルベル人たちの小君主国が分立しますが、その代表はムラービト朝(ダウラ・ムラービティーヤ)とムワッヒド朝(ダウラ・ムワッヒディーヤ)です

 

*そう、アラビア語での王朝は『ダウラ』といいまして、動詞では『回転する』の意味を持ちます。どうやら王朝は栄えてはいずれ廃れるという【栄枯盛衰】の概念があるようで、本質ついててびっくらこきますね

 

関連記事: 世界史の【イスラーム史】がごちゃごちゃしちゃう?【イスラーム史】の完全対策と勉強法を教えるわ !!

 

そして、1236年にベルベル人の名家のザイヤーン家によって再統一したのが、ザイヤーン朝になります

 

チュニジアのハフス朝とモロッコのマリーン朝に挟まれた群雄割拠の時代、すなわち北アフリカ三国時代とはこのこと!

 

三国時代といえば中国!はまだまだ甘いですぞ。世界史をやってるなら、北アフリカ三国時代(ザイヤーン朝・マリーン朝・ハフス朝)もオタク級に仕上げてみてはいかがでしょーか!ドン引きされます

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オスマン帝国もアルジェリアへ・・

で、トルコ民族のあの巨大帝国、オスマン帝国のひとつの州(アルジェ州)となり、デイ(太守)が統治するエリアになります

 

あのオスマン軍楽隊と軍人たちは強力な統治体制をしきますからね、寡頭支配体制が築かました怖いい

 

関連記事:オスマン帝国のおすすめ国歌と軍歌3つを紹介!【異国情緒あふれる音楽リズム】

以下は1613年(オスマン統治時代)のアルジェの港都市オランの風景ですが、ヨーロッパの貿易商人に対して海賊行為を行っていたようです(詳しくは別記事にて執筆予定です)

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出典:تاريخ الجزائر - ويكيبيديا، الموسوعة الحرة

 

しかし、オスマン帝国領の最西端にあるのがアルジェ州!

オスマン帝国の中心イスタンブールに強大なパワーがあるとはいえ、巨大帝国の宿命の物理的キャパオーバー・・・その弱体化につけこんで、フランスの侵略をむかえることとなります(高校世界史はこの部分だけですね!) 

フランスもアルジェリアへ・・

1830年、アルジェリアはフランスの植民地支配に乗り出され、アルジェリアの主要3都市(アルジェ・オラン・コンスタンティーヌ)は瞬く間にフランスによって統治、海外県とされます 

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تاريخ الجزائر - ويكيبيديا، الموسوعة الحرة

出典:

 フランスとアルジェリアは貿易の関係にありましたが、輸入コストの滞納問題で、アルジェの太守がフランスの領事を扇でほっぺをばちーーーんと引っ叩いたことから、国を揺るがす問題として激化しました

 

【文明化の使命】を大義名分として掲げる大国フランスは、瞬く間にアルジェリアをおさえました。

 

病院・学校など公共施設がフランスの持つ財力によって整いましたが、言語や文化、宗教などアルジェリア人の根幹にあるアイデンティティはずたずたになっていきます

 

高校世界史では触れることのない【アルジェリア植民地時代】ですが、さらに非常に複雑な様相を呈するものとなっていくのです

 

例えば、政治と宗教をわけよう!って政教分離を確立したフランスは、イスラームが生活にあるアルジェリアの宗教性をできるだけ取り除きいて、そこに世俗性を持ち込もうとするなど、

政治と宗教が事実上一体となってるイスラーム国家のアルジェリアにおいて、複雑極まりない歴史の展開をみせます

 

こうした矛盾を脱すべくして、アブドゥル・カーディルやイブン・バーディースを筆頭とするアラブの英雄が立ち上がりまして、

 

抵抗運動を先導して1963年にアルジェリア独立戦争を経て、エヴィアン協約で見事アルジェリアは独立を果たすこととなります

 

詳細なアルジェリア植民史については別記事にて書こうと思ってますのでお楽しみに!

マイナー史だからこそおもろいよ

こうした世界史の教科書にのらないマイナーな周辺の歴史にこそおもしろみがまってます

 

「既存の世界史は西洋中心の記述だ!」って批判はあることから、地域に偏らないバランスのとれた歴史、さらにいえば地域と地域の繋がりをもっと重視したグローバルヒストリー的な味方が近年の流行りです

 

大国フランスの歴史について世界史教科書ではたくさん触れて、「フランスかっけぇ!」ってなるのもくっそわかりますが、18世紀のアルジェリアなど、周辺の国とされるサイドからみたフランスをみると違った歴史のテイストを味わえるかもしれませんよ 

 

もともとアルジェリア(北アフリカ全体的にに好き)に興味が湧いて色々調べてましたが、政治・文化・宗教・グルメまで幅広く詳しくなったのでこれから少しづつ紹介していこうとおもいます!参考にしてみてください