「1人は好きだけど独りって好きじゃない! 」って人はどのくらいいるでしょうか
1人と独りはまるで違う
ロンリーかアローンはまるで違う
なが〜〜い歴史の中で、村落のコミュニティを作って文明を築いた人間。今ではネットの中で、オンラインサロンやSNSグループでコミュニティを作ります
人間は社会的な動物とアリストテレスも表現するように、人間はじぶん以外の他人との繋がりをもって初めて人間になることができます
そんな中、次世代のコミュニティ(共同体)について新しい知見をくれたのがこの本でした
タイトルがイケイケですね『僕たちは1人だけど独りじゃないよ 』なんて(°▽°)
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現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ
スマホによって、大衆は分断され、会社や近所付き合いなどの繋がりも薄くなり、人々は孤独になった
SNSで繋がっていても、誰もが自分の居場所を探している。
だからこそ、いまの時代に合わせてコミュニティをアップデートすることが求められている。
また、大衆が分断されたことで、モノの売り方も根本から変わった。
テレビCMなどの一方的な情報は伝わらなくなり、新商品はヒットしづらくなった。
ビジネスにおいても、コミュニティを持っているかどうかが成否を分けている。
講談社から独立し、コルクを立ち上げたメガヒット編集者・佐渡島庸平は従来のビジネスモデルが崩壊していく中で、いち早くコミュニティに可能性を感じ、コルクラボというオンラインサロンを主宰している。
最前線で考え実践する佐渡島庸平のコミュニティ論。引用:Amazon
みんなが個々のデバイス(スマホ)を持つことでインターネットに接続できる今では、会社・近所・学校など、これまでではあたり前の『組織』・『コミュニティ』との繋がりが希薄になるという...
コミュニティを考えるときに、キーワードがあります
なんでしょうか
それは安心と自由です
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コミュニティの中の安心と自由
初めは、村社会があった。誰もが相手の顔と名前が一致していた。
引っ越しも職業の選択も自由はほとんどない。同調圧力が強い社会だったが、圧倒的な安全があり、安心があった。
そこには「誰かが困ったら助け合い」の風潮もあり、繋がりの深さからくる安心感に根ざすコミュニティでした
・・・深い繋がりですよね
村落共同体的なコミュニティのことです
一家総出で農業に従事し、収穫物を譲り合ったり交換しあったり、コミュニティ全体で足踏みをそろえて生きていこう!って状況です
一方
高度経済成長期には、核家族を中心とした極小コミュニティと会社コミュニティの2つに人は身を委ねた。
村社会に比べたら、生き方の自由度は増したが、安全・安心は減った。そして今、この2つは機能しなくなり始めている。
『自由が故の不自由』の言葉は有名です。19世紀後半からは、コミュニティの中の深いつながりは少なくなってきました
でも、どんな職業・どんな会社・どんな人生でも文句は言われない個人の自由が最大に尊重される時代が到来します
今、私たちは所属しているコミュニティを失いつつある。
圧倒的な自由を手に入れて、安全・安心を失っていた。
この2つがトレードオフの関係にあることを、理解している人は少なかった。
孤独の中で得る自由と引き換えに安全・安心を失った人たちは、不安の闇に突き落とされる。
- 自由を手にする代わりに、コミュニティの安心・安全を失う!
- コミュニティの安心・安全を手にする代わりに、自由を失う !
このようにギブアンドテイクの関係が成り立ち、コミュニティの必要性が語られるわけですが・・・
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自由と安心、両方を手にすれる方法がある?
自由と安心をどちらとも手にする方法を模索しなければならないのが現代!
ある程度読み進めると『ネット』を上手く使えばいいんだ!って推測できます
その通り・・!
「not alone」そんな気持ちを持たせてくれるのは、コミュニティだけだ。
今までの物理的な必然性で生まれたコミュニティではなく、インターネットの中で「好き」を中心にしてできたコミュニティに可能性がある。
インターネットの力は、自由と安心、両方をもたらしうるのではないか。
オープンなネット社会におけるクローズドなコミュニティがポイントに!
SNSは、オープンであればあるほど、安全・安心は確保されない。
リアルな空間で、安全・安心を確保するためにやっている工夫を、ネットにも取り入れることが重要だ。
こんな表現があるのは「奴隷の幸福」の言葉があるように僕たちは型にハマって、役割を半ば強制的に与えられるのが楽で不快ではないのが現実にあるからです
型にハマることの教育を受けた僕たちは、いわゆる所の『型』から解放され、心の拠り所(所属の欲求)がなくなって、どことなく不安を感じているのですね
そこで・・・
ネット空間にリアルと同じような身体性を持たせないと、安心な空間が生まれない。
ネットの自由さを享受しながら安心を得るためには、クローズドなコミュニティをネット上に作る必要がある。
と最後に主張し、自由かつ安心安全なコミュニティの形成が呼びかけられてます
「好き」「興味」に寄り添ったクローズドなコミュニティに属すると、ネット社会の自由を享受できると、繋がりからくる安心を得られるというのです
確かに歴史を振り返ればコミュニティの姿は時代によって変化しています
人間の「所属の欲求」はいつの時代も普遍的です
社会状況・技術が変われば、人との付き合いの方法も変わります
付き合いの方法も変われば、コミュニティのありかたも変わります
このように、今の時代に最適化したコミュニティに属すべきであるのは著者の主張で、僕も激しく同意ですね
オープン・クローズドな居心地のいいコミュニティ(ネット上の同じ好き・興味同士)を見つけだし、「所属の欲求」をそれぞれ満たすのは、多くの人にとっての試練かもしれませんね