出会いと別れの季節、人生の節目の季節春のぽかぽかの時期、
ふと、故郷のことを思い出してしまう瞬間が訪れるのは、皆同じでしょう
ノスタルジックな気分に浸りながら、田舎生まれ・育ちの僕が、
田舎で育つよい点だけを(春なので負の側面には触れません。Be positive)を語ります!
いつしか『地域おこし協力隊』 として田舎に戻りたい大義名分なのは・・お察しくだされ!結論から言っちゃってすみません笑
まず最も主張したいのはこれ
田舎育ち。
人格形成の大事な大事な時期だからこそ、田舎暮らしの本質が問われます
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『創造的発想』を最高に育める
たしかに、”田舎”をひとくくりにして考えることは不可能
しかし、交通の便や遊び、買い物をする店舗数は東京をはじめとする都市よりも、少ないのは事実のことかと思います
私が育ったところは、山あり、川あり、田んぼあり、”周りになにもなし”と、まさに絵に書いたような田園世界が広がっている場所ですが、これ、ポイントです!
のどかな自然豊かな環境の中で
”とにかく遊びを追求すること!”
これが創造的発想を育む環境であるのかなぁと、つくづく考えてますね
”自然の広がった環境で遊ぶという”ことは、原体験できるの環境に身を置き、
自分たちで”楽しさ”や”面白さ”を見いだせる遊びを探求しなきゃです
秘密基地作りなど自分らで0から楽しさを生み出そうとするプロセスにこそ、創造的発想を育む機会がねむっているのです!
ラウンド〇ン、ゲームセンターなどは、そもそも人工の『面白さ』の集合体なため、自分らで遊びを創造する発想を養うきっかけになるとは言い難い
なので、エンターテイメント環境が充実している都市周辺では・・・
すでに求めずとも、”楽しさ””面白さ”に触れることができます
原体験ができて、創造的な発想を育める絶好のチャンスたちこそ、田舎育ちの強大なメリットです!
現在では、欲しい情報はすべて得られる社会環境ということもあり、与えられたもののみを受けとっている者ではなく、
”クリエイティブ”つまり創造的な発想から思考できる者が、将来的に、存在価値を発揮できるのではないでしょうか(^^)
ストレスフリーな非競争社会
鈍感な性格のせいで、一方的にストレスフリーを感じていたのならば勘違い野郎ですが笑
時間がゆったり流れる、豊かな自然に囲まれた環境
圧倒的な人口の少なさがゆえに、いろんなこと対する競争率も低いんです
田舎にはお受験は無いよ
僕が育った田舎の環境においては、”お受験”と呼ばれる小学校受験を耳にしません
みんなゆったりと学校へいき、放課後はランドセルを家へ放り投げて、どこかへ遊びに・・・・といった具合に完全受験ストレスフリー生活を送っていました(良いかわるいかは別問題ですがね〜笑)
特に小学生時代では、育った環境の中で”強制”の圧力を感じたことは一切ありませんでした
社会に備えるべく、トレーニングの一環として”競争”させることは重要かもしれません。
でも、他人を蹴落として自分の地位と名誉を獲得するための競争を少年期に意識させてしまうのは、その子の人としての器の広がりを抑えてしまうのではと、思考がめぐりますね〜〜
競争率は受験だけじゃ無い
人口が少ないので、通行人の数、電車の数、車の数も少なくってきます。
すると、1人あたりのゆったり歩ける、座れる、生活できるスペースにも当然ゆとりがうまれます
都会特有の雑音・喧騒と距離をおけるし、都会ほどストレスを感じる環境ではないということがわかります
電車の席を奪い合う競争も当然存在しません
競争の観点から田舎育ち経験をおさらいしても、のびのびとすくすく成長できるストレスフリーな環境であったといえそうです。(子どもだったが故に、ストレスを感じるわけがなかった、とツッコまれた困りますが笑)
なんだかんだ、いつか戻りたい
子どもにとっては、田舎or都会で育つ選択すること自体難しいでしょう
結局は、自分の幼少期、少年期を振り返ってみて、良い思い出だったと胸をはれるような育ち環境が理想です
どちらの選択が正解ということはけっしてなく、今置かれた環境の中で、「全力でたのしむ、生きる!」というガッツが欠かせないのかもしれません
終着点は個々人の価値観に行き着くにすぎません
でも一度しかない人生を謳歌できる理想な環境に身を置くことは誰しもが望んでいること
田舎・都会の生活をどっちも経験してみて、判断しましょう
そして自分に合う将来の居場所を描けたら理想です
「田舎に戻って貢献したい! 」って人は地域おこし協力隊! になるのも一つの選択肢
田舎の快適さと豊かさを満喫しつつ、みんなで楽しく生活できたら良いですね〜!
共に田舎でスローライフする人募集中です(°▽°)