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シンプルに、ものを書く

卒論の題目が決まらない?俺の問題関心を語るよ!文系史学出身の卒論の軌跡を残したい!

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僕は、東洋史学専攻において中東・イスラームの都市史、交流史の歴史から、イスラーム原理主義に起因する現代諸問題を専門的に研究してます

 

本記事では具体的に僕の卒論テーマをまとめる、備忘録のようなコンテンツです

 

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関心は、現代ヨーロッパ諸国におけるホスト国民らとイスラーム教徒移民らとの間に生じうる(現に生じている議論ももちろん)文化的、政治的、宗教的軋轢の問題です

 

で、その問題にまつわるあらゆる知見を深めつつ、将来に渡る日本社会の移民問題が議論の俎上にあげられる際に、

教訓や示唆を大いに得られるのではないかという期待と責任を持ちあわせながら研究している感じですね

 

もちろん、シリア、イラクアフガニスタンから戦乱を免れ難民としてトルコ、ギリシャを経由し、東ヨーロッパさらにはドイツ、イギリスなどへ多数の中東地域の方々が渡っているニュースは近頃メディアの注目となっていますが・・・

最近になって”移動”がはじまったという事実ではないのです

 

世界大戦後に欧州諸国の労働力としてや、出稼ぎや、旧植民地関連などの事情により多くのイスラーム教徒移民らはすでに渡り、生活しているのも歴史的事実です

 

”異文化共生”や”多文化主義”の観点で何か微力ながらでも、文化、宗教、言語、肌の色、価値観が異なる人々の間の平和的共生に将来的に貢献することができたらなというのが切なる願いです

 

 

卒論の題目を決め始めた

 

『フランスにおける内なるイスラーム ーライシテ概念の変遷と移民ムスリム-』

 

という仮の題目として設定してます

 

 

フランス共和国は歴史を通して強圧的なカトリックの宗教勢力からの解放をうたってます

 

それを志してきた主にプロテスタント(当初は少数派)らによって、フランス共和国精神の基盤となる”ライシテ(laicité)”原理というものを培ってきました

 

ライシテというのはその複雑性や柔軟性も考慮すると、日本語訳として適正な言葉を当てはめるのは困難ではあるのですが、一般的には『脱宗教』『非宗教』『世俗主義』と言われてます

 

かつて脱宗教化へむかおうとする弱者の論理で謳われた”ライシテ”の力学は、現代フランスにおいては少数派としてのイスラーム教徒移民に対して強者の論理へと変貌しつつあります

 

で共和国憲法遵守の立前と異質性排除の本音をフランス社会に垣間見られるのではないか・・・

 

・・・というまだまだ仮説ではありますが、この疑問点、問題意識を立証する卒業論文になる予定です

 

この”ライシテとイスラーム”を二項対立形式として安直に考えるのへ避けるべきとして様々な研究者の間でも指摘されています(そもそもイスラーム共生を可能にする前提としての宗教だなど)

 

また逆に近年のフランスにおけるスカーフ問題やシャルリー・エブドー襲撃事件に見られるように、イスラームとの共生の在り方を改めて考えるべき素地はあるとする研究者ももちろんいます

 

 

僕の論文題目に至る経緯 

 

今現在もシリア、イラクアフガニスタンより戦乱を逃れた難民らが欧州諸国へ押し寄せ、特にEU諸国を筆頭とし、如何に受け入れ、包括してゆくべきかに論点が当てられてます

 

議論の激化の一途を辿る状況に国際社会はあり、長期的な視野と具体的な事例をもって(西欧で一番世俗性の強い国家フランスにおける)ライシテとイスラームの関係を考えることで、移民、難民問題等の世界情勢を広く考える際の理解の手助けとなりうるであろうこと・・・

 

また同時にイスラーム過激派によるテロリズム、中東情勢の不安定化に起因するイスラーム教徒に対する嫌悪感上の蔓延は欧州に広がってます

 

加速度的に進む国際人口移動に伴うイスラーム教徒人口増加などの背景により、ホスト国民とイスラーム教徒移民らとの相互理解が求められるであろうこと

 

これが大きな経緯であり理由になります

  

日本も例外ではない

 

今後の少子高齢化にともなう労働力確保のため日本社会も移民受け入れについて議論が活性化される一途をたどるばかりであろうと考えられます

 

しかしこういったエリアを過去や現在、未来に渡る情勢分析、分野横断的に比較し、示唆を得、教訓を示し、政策を提言してゆくのは、いわゆる知識人の方たちのなしうる業であると信じてます

 

まだまだひよっこにも至らない僕は、こういった背景としての素養を備えておくことこそ、ひとりの日本人として大切な知的作業の訓練とばかり言えるでしょうか。いや”大切な行い”であるだろうと考えます。

 

どこかしら共感を覚えた友人の言葉があります。「世界も世界で、どういった背景、どういった理由、どういった因果関係、何に悩んで、何に苦しんで、何にやり場のない怒りを覚えて、テロリストとなったのか、を勉強したほうがいいんじゃないのかな、勉強して知る分には良いと思う。別にテロリストを擁護するわけでないし、肯定するわけじゃないけど、それこそ未来のためだとおもう。」

  

だったと思います

 

”寛容”という意味に合致するかはわかりませんが、自分自身も普段の生活の中でもこういった考えを念頭に置き、”相手を解る人”に近づけたら良いなあと思った2015年の一時でありました

 

クリスマスムードにこういったシリアスな話題を持ち出したくはなかったのですが、ハッとさせられた言葉だったと、皆さんにも伝えさせてください

 

卒論頑張りまーーーす!