テクノロジー(技術)が便利なものへと進化すると、社会全体もくそ進化を遂げます
社会全体が進化すれば不便が浮き彫りになって「どげんかせんといかん」って人がでてきます。それすなわち技術革新への出発地点
世界史を通しても、羅針盤・火薬・活版印刷の発明はルネサンス以降の社会を激変させました
大航海時代の幕開け、騎馬戦をオワコン化、大規模なメッセージ送信などをもたらしました
『テクノロジー』と社会について再考するきっかけになる本を読んだので感想を!
流行りのAI・仮想通貨・ブロックチェーンの理解を深めるための1冊くらいかなーと思って読んでみました!
そしたら思った以上に「人生」を考えるきっかけになりました!びっくり!共有していきますよ〜〜
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教養としてのテクノロジー―AI、仮想通貨、ブロックチェーン
アルゴリズムが社会を良くするわけではない
シリコンバレーには「シンギュラリティ」っていう独特な考えが完全浸透してます
『シンギュラリティ』とは人類の知能を超える転換点
ざっくりですが、人間の能力を人工知能が超える瞬間のことです
このシンギュラリティに傾倒する人が後を絶たない。シンギュラリティによって、人類の抱えている問題の全てが解決すると信じている人たちは、ある意味で「シンギュラリティ教」の信者と呼んでもいいかもしれない。彼らにとっては「技術こそすべて」なのである。
「技術こそ全て!」「経済効果こそ全て!」のような考え方が、資本主義的な「規模こそ全て!」の思想に繋がりかないです
本書では、本来は社会をより良くするため情報技術の発展や規模の拡大が「自己目的化」してしまい、いろんな場所で軋轢・弊害を生み出していると主張してます
たしかに、そうですよね〜
サービスの規模が大きくなると、そのぶんビジネスとしての効率はぐんと上がる!
で、それだけの利益がでるわけなので、企業にとってはめちゃくちゃ良いこと!
でもこれが行き着く先は何か
独占状態他なりません
競争(切磋琢磨)することでサービスの改善が促されるのはもちろんです
しかし、競争相手を完全打ち負かした後、競争はすでに終了してしまっており改善のモチベが上がらない状態になる、ということです
検索エンジンといえばグーグル、SNSはフェイスブック、フリマはメルカリ、などといったように、特定のIT企業の規模が巨大になりすぎたゆえに、新しい改革が失われます
絶対主義的のような権威主義に陥ってしまうこと=大きな弊害との見方が著書にはあったのです
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テクノロジーの進化は人生に意味をあたえるものではない
めまぐるしいスピードでテクノロジー(人工知能、仮想通貨など)が進化しています。
無人コンビニがあたりまえになったり、タクシードライバーが無くなったり、銀行がなくなったり、言葉の壁も無くなったりと、5年先の近未来でさえ予想することは不可能です
*ディープラーニングの音声認識は驚異的です!毎日Youtubeの動画10億本に字幕がつけらてるわけですが、すべてこの恩恵です。
海外のニュース記事でさえ、瞬時で日本語に変換可能ですので、当然5年以内には言語間の移動をつかさどる『翻訳家』のポジションがあやういことは想像するに容易い・・・
テクノロジーの進化は経済の発展を促しますが、
経済の発展(お金でうるおうこと)が人生に意味をあたえてくれるわけない。
と、このように書かれてます
生活のためのお金を稼ぐため、経済効率のためという、今まで社会を動かしていたようなロジックは自己目的化しやすい。AIは課題を与えれば解決に向かって動き出すものだが、「人生の意味」を与えてくれるものではない。「生きる意味って何だろう?」と考えられるのが人間である。
働くとは、お金をもらって何かをするということなのか。自給自足は働くと呼んでいいのか。
働くことがイコールお金ではないように、世の中にはお金ではないが価値のあるものや、お金では決して買えないものも存在する。
AIが人間の仕事を奪ったとしても、人間が働くことがなくなるというわけではない。人間はお金のためだけに働くわけではないからである。
チェックしたいのはここの部分ですね!
テクノロジーは経済を潤すけども、必ずしも『心』を潤すものではないということ
「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という、新しいセンシビリティを考えるには、面白い時期である。
でも、いい流れがきてますよ〜
古代ギリシャであれほどまでに哲学が花咲いた理由はなんでしょうか
奴隷の流入がさかんになって、働かなくても生きていける人が量産されたからです
奴隷はギリシャ人のために作物をつくって、調理までしてくれたのです
暇になってぷらぷらしてるギリシャ人たちは・・・
俺たちって何のために生きてるんや
と、アゴラ(広場)で仲間たちと語りあうようになりました
三日三晩、『生きる意味』や『死んだらどうなるのか』の根本を探ります
これがギリシャ哲学のはじまりの背景です
あと、イギリス産業革命で機械生産も爆発的になると、『余暇(フリータイム)』の考えがうまれたことも興味深い
暇な時間がうまれることで、ツアーリズム(旅行業)という新領域が開拓されましたね
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これからの時代の生きる価値・意味とは??
「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるためにどう働けばいいのか」という、新しいセンシビリティを考えるには、面白い時期である。
ということ
お金には変えられない生きる意味を模索せよ!
という警鐘です
機械は代わりに経済生産してくれますが、生きる意味を生産してくれません
個々人それぞれが、『明日起きるのが楽しみ感』=生きる価値をみつけなければならないのです
まさに現代哲学といってもおかしくありませんね。大衆の共感を得られる人が現代哲学の巨人として崇められることでしょう
これを踏まえて僕は
『明日起きるのが楽しみ感』
を追求したい!!
イベントが明日あるから楽しみという短期的なものではなく、もっと長期的に続く、内面的な充足へ導くなにかを追求したい!
明日起きるのが楽しみですか?
「嫌や〜〜」「鬱や〜〜」って人は何かを変える必要があるでしょう
『起きるのが楽しみ感』を半永続的に保てるユニークな条件はそれぞれにあります
僕的には楽しみじゃなくする要因を取っ払うことに努めますね・・
ぜひ、三日三晩考え抜いてください
あの古代ギリシャ人がやったように・・・