しぇあ・ざ・わ〜るど

しぇあ・ざ・わ〜るど

まぐろたまごと、ぐろーばるひすとりい

スポンサーリンク

ワラキア公国ヴラド3世のおぞましい話【悪魔ドラキュラのモデルさん】

スポンサーリンク

f:id:makoto-endo:20180207152428p:plain

この字面から何を思い浮かべるぅ〜〜〜〜〜???

 

まさか、こいつ?!?!?!

https://appmedia.jp/wp-content/uploads/2016/10/dd7b64e786dd3d91ded19b5131639984.jpg

出典:TYPE-MOON / FGO PROJECT

FGOに登場するキャラクター。このRPGめっちゃおもろいですよね〜

てちゃうわ。ぶっちゃけ歴史よりおもろいけどっっ

 

今回は、本物のヴラド3世はなしっ

FGOからも想像できるでしょう。どことなく悪魔キャラであることに

少しずつ「悪魔らしさ」とやらを暴こうではないか。では行こう

ヴラド3世は何者なのか

時は15世紀の東ヨーロッパ

当時のワラキア公(今はルーマニア)の君主だったヴラド3世が誕生します

 

f:id:makoto-endo:20180207165023p:plain

出典:ヴラド・ツェペシュ - Wikipedia

神聖ローマ帝国、オスマン帝国、フランスヴァロワ朝が隣国にある時代。

その神聖ローマ帝国の皇帝、ジギスムントって人がきっかけをつくっちゃう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/af/Pisanello_024b.jpg/220px-Pisanello_024b.jpg

出典:Sigismund, Holy Roman Emperor - Wikipedia

ジギスムントは、ヴラド3世のパパでもあるヴラド2世に『竜騎士団(ドラゴン・ソルジャーズ』の長として叙任するんです。ヴラド2世は軍の統率力に長けていたんでしょう

*ニコポリスの戦い(ハンガリーVSオスマン帝国)

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c6/Nicopol_final_battle_1398.jpg/300px-Nicopol_final_battle_1398.jpg

当時はこのようにオスマン帝国との攻防戦がえぐかった!なんせジギスムントも皇帝のプライドをかけて戦闘に臨むんだもの、しかも3時間でKOされるオチ

 

だから強力パワフルでドヤ顔できる騎士団が整備されたわけだ

・・・しかもドラゴンって

え、そもそもやばくねーーか!!中二病の俺が黙ってられるわけねーよ!

だって、ドラゴンよ?!?!しかも騎士団って!おい!w

 

そんな冗談はさておき、オスマン帝国との戦闘の最中、

ヴラド2世に子供ができるんですね、それがドラゴンの息子(ザ・ソン・オブ・ドラゴン)、ヴラド3世ダーーー!!!

なんと吸血鬼ドラキュラのモデルやで

古ルーマニア語のドラゴンの息子=ドラキュレア

 

お察しいただけただろう・・・・

彼が生まれたその瞬間、ドラキュラ公の別名が与えられる運命にあったのであーる。

「お前の名は今日から千じゃ」ならぬ運命だ

http://monolith.mods.jp/wp/wp-content/uploads/2016/06/11.jpg

 

さあ、ここからがいよいよ「悪魔らしさ」が彼に付与されるストーリーのはじまり

ワラキア公国ヴラド3世の「悪魔らしさ」

公国の君主になったヴラド3世は、パワフルな中央集権を目指すとこからはじまる

周りがオスマン帝国とか神聖ローマ帝国、ハンガリーとかとかえらい強国ぞろいなんでね、それに比べるとハイパー小さな公国のワラキアは、『力パワー』を君主に集中させることでなんとかやっていけた。

 

どんな寒くてもおしくらまんじゅうすればあったかいでしょう。そんな感じ。

 

悪魔らしさになる彼の「残忍性」はこれらだ。

  • 貴族の粛清
  • 流行病防止のための、村の焼き払い
  • 敵兵(オスマン兵など)への手加減を知らない対応

字面をみただけでも、背筋がぞぞっとするだろう。書いた方がいいのか書かない方がいいのか迷いに迷ってる。そう言っているやつはおそらく書く。

*えぐい系が苦手な方はここでページを閉じていただきたいbyヴラド3世

 

まず、貴族の粛清。

もともとワラキアは、その土地のちょっとした貴族(金持ち豪族)たちが連合的に協力した統治だったけれど、ヴラド3世の即位でがらりと変わった。オレ!オレ!なヴラドに逆らうものは徹底的に消す。というもの。弱小国家がパワーのカサ増しに使う手段としては歴史上あるあるなのだがっ。にしてもえ・ぐ・い

 

こんな伝承もある。

有力貴族を招待して、酒宴を開いたヴラドだった。わいわいがやがやくそみたいな話で盛り上がっていたことだろう人間だもの。そんな中、側近たちが貴族に襲いかかった。「まんまとかかったな」と言わんばかりにその場にいた貴族たちを残らず粛清したのである。これもワラキア公国のためだとされる。え・ぐ・い

f:id:makoto-endo:20180207191003p:plain

続いて、流行病防止策

これは諸説ありすぎててきとうなこと言えないため気をつけよう。

彼は、治安維持(乞食、窃盗、殺人の防止)や病気(ペストなど)の抑止手段として、ロマ(ジプシー)を建物に集めて、焼き殺したのである。治安維持のためか、その”見せしめ”も甚だしい。

 

このように、ロマたちを串刺しに公開処刑したとされるヴラド3世。

http://bukimidick.com/wp-content/uploads/2015/12/Impaled-300x300.gif

出典:発売前考察 - Bloodborne wiki

 えぐい・・・えぐすぎる。しかもこの串刺しの刑は、ロマ(ジプシー)だけでなく、貴族たちもその刑の対象となったのだ。つまり粛清会場そのもの。今の時代では、ヴラド3世の名前は、「ヴラド・ツェペシュ」と教えられているそう。想像にたやすいが、ツェペシュは、今のルーマニア語で「串刺しにする者」という意味そのものなのである。『串刺しのヴラド』そうゆうことだ。いやかっこよくねーからな!

 

最後に、敵兵(オスマン兵)への対応

東ヨーロッパ諸国は絶えずオスマン帝国と火花を散らしたこの時代。

ワラキア公国ももちろん例外ではなかった。むしろちっちゃな国。オスマン帝国なんかは、「ミニから攻めようヨユーヨユー」そんな戦意だったに違いない。

 

そこでヴ・ラ・ド

弱小国家ながらゲリラ戦術と焦土作戦でもってオスマン帝国領土へ攻める。

(この史実は、祖国ルーマニアでも賞賛される功績)

1462年、当時オスマン帝国のスルタン(王様)メフメト2世にサプライズアタック。しかも真夜中だ。なんと2万人ものオスマン兵たちが捕虜となったのだ。ヴラドは、「串刺し」だけがアクションのコマンドになかったのだろうか。この2万人ものオスマン兵が総勢「串刺し」の一撃をくらったのだ・・・

 

そんな光景を目の当たりにしたメフメト2世は、秒速の戦意喪失

そりゃそうだ。「あいつやベェ・・き◯がいすぎる・・・」と当然思う。

オスマン帝国のイスタンブルへの撤退を決意、そんな記録があるのだ。

スポンサーリンク

 

ヴラド3世の残したもの

まじめな話になるが、ヴラド3世の評価は大きく分かれる。

国内ルーマニアの人々にとっては、国力や治安を取り戻し、外敵から守った英雄

外側の他国勢にとっては、残忍な血も涙ないドラキュラ串刺し悪魔

 

歴史は解釈する側の視点によって本人が驚くほど変わる。

主観とか感情を交えることなく、史実を注視して多角的な議論でほんとうの「ヴラド3世像」に近くのだろう。と真面目ぶってみた

 

善悪の議論とかではなく、兎にも角にも歴史に名を刻んだ「ヴラド3世」

 

運悪くついちゃったイメージの取っ払いってやっぱり難しいのが人間。でも恐れた畏敬のイメージって、人間生活を引き締めるのに都合がいい。日本の怪物イメージもそんな役割でしょう。「夜外に出るとお化けが出るわよ!」とか言われたもの。

 

ここまで読んでくれた方は理解できたはずだ

ドラキュラの「悪」のイメージは、ヴラドの生き様に後付けされたものなのだ。そんなヴラド3世の一生はヴラド3世だけがなしうる。これからも語り継がれるのであろう。国内は英雄、国外は悪魔として・・・

 

おら、日本では「ドラキュラ」ポジションで永久に生きるだあふははははははとヴラドの魂は叫ぶのであった