文武両道
文武両道(ぶんぶりょうどう)とは、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す語。求道的な評価にも用いられる語である。転じて、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に秀でた人物に対しても用いられる。
引用:wikipedia
こんにちは、まこさん(@sHaRe_worlD_) です。中学〜高校まで部活と勉強どちらもやるやつ=正義!!の環境で育ちました
さて
下関国際高校野球部の坂原秀尚監督は『文武両道』を否定して少し話題になりました
監督曰く、
「無理です。『一流』というのは『一つの流れ』。例えば野球ひとつに集中してやるということ」文武両道って響きはいいですけど、絶対逃げてますからね。東大を目指す子が2時間の勉強で受かるのか。10時間しても足りないのに。
僕は、坂原監督の『一流』の解釈の仕方についてはすごく好き!
一つものを極めてそれと心中する勢い。まさに一流(°▽°)
本気では改めて「文武両道」について考えるものです
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『文武』の始まりは?
『文武』って言葉が使われ始めたのがなんと今から約2000年前
司馬遷って人の『史記』に登場するですね
「文事ある者は必ず武備あり」
といった感じ
あの西郷隆盛のバイブルだった、『言志耋録』にも
おまえは腕力も鍛えているか?中国の帝王で尭と舜のたった二人だけが在位中に位を次に譲っている、いわゆる禅譲をしたがそれ以外は、ニ十ニの王朝は全て武力で王朝を建ててその後に文治政治を行ってきた。
そのことから「武」は身体そのもので、「文」は上辺の毛並みの色どりようなものだ。それぞれの王朝は虎、豹、犬、羊といったように違っている。
このように見ると学問だけをするのではなく、武の鍛錬も合わせてする必要がある。
『言志耋録』第ニ百四十一条
成り上がるためにはフィジカル的な強さ+インテリ的な才能がいるんやで
という話
政治的な人物、国家を引っ張る人物についての言葉だったんですね、もともとは
転じて転じ転じて〜〜今の日本の学校で『文武両道』が洗脳のごとくうたわれますね
今の文武両道とは!?
僕の高校もそうでした
『文武両道』は望ましい!
10人中10人の先生はそう強気で叫びます。勉強・部活もきちんと全うせよってことで
勉強も予習から復習まできちんとやって、テストでも模試でもいい結果をのこす!
部活も、朝練から放課後まできちんとやって、大会やコンクールでいい結果をのこす!
神がかってる生徒が理想像。模範つまり『正義』的な存在でした
すんご〜〜く理想なんですけどねー、実際のところ少し違うかもなんです
『文』担当の生徒と『武』担当の生徒が別れてる問題?!
『文武両道』最強やで!!!!
って言いまくってる学校に限って、この問題がある
勉強できる子と部活できる子がはっきりわかれてるやんけ!問題
勉強できる子は、特進クラスで毎日勉強詰め込んで、旧帝大なり六大学などなどに進学する実績を残す
部活できる子は、スポーツ推薦で入ったり、練習は週7の夜まで、休日も遠征か大会。そして全国大会、インターハイでまずまずな成績を残す
これがぶっちゃけたところの実態じゃあないですか〜って
学校としては、最高のアピール材料できあがるわけですよね
『難関大学の進学実績』と『全国大会出場多数』
そんな垂れ幕が校舎からぷらぷら見えることでしょう・・・・
一見『文武両道』ですが、裏側ではこのように担当が別れてることを、学校選びで忘れてはいけませんぞ!『文武両道』は悪くいえば『中途半端』になりがち
本当に結果を出せる人は、僕の経験を含めても、ひとつのことに全ての力を注いでる人、一点豪華主義な人です
確率論なんでね、超たまーに医学部合格の甲子園球児のような神童も現れます
しかし大半の大半の大半は、一点豪華主義なんです。
だからこそ『文武両道』はガン無視!!
自分の好きなこと、得意なことをバリバリ伸ばすつもりで、それで一番になってやるつもりで、高校生活や大学生活を送ることをおすすめします
学校が使いたい『文武両道』と個人にとっての『文武両道』は全く違うって話でした。