しぇあ・ざ・わ〜るど

THE SIMPLICITY

シンプルに、ものを書く

マルクス・アウレリウス・アントニヌスの「人間哲学」と「人生観」!【自省録より】

スポンサーリンク

 マルクス・アウレリウス・アントニヌスについて!

 

彼はとてつもなく深い造詣、深い哲学を秘めていた皇帝でした

 

そんな立場にあると、最強の名誉を手にすることはもちろん、欲のまま欲しいもの全てが手に入ってしまうわけです。カネ、奴隷、食べ物、側近、兵士、巨大な建築物・・・などなどなど

 

人間だれしも、欲しいもの全てが手に入ると、どこかしらの場面で気の緩みだったり、テングになってしまいがち

 

生活が苦しい人の気持ちや様子を理解できなくなりがち

 

しかし、彼は、”禁欲主義”)を徹底した人物で、『哲学』にのめり込んでいたという点で、グローバルヒストリー上でも、かなりかなり希少な皇帝であることは、言うまでもありません

スポンサーリンク

 

マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121年〜180年)

f:id:makoto-endo:20171104111757p:plain

 

マルクスの名著として知られている『自省録』(日本語訳)

 

本当は、誰かに向けて書いたものではなく、生涯を閉じようとしている、自分が自分自身に書き綴ったもの

 

 

ある湖のほとりなどで、彼の人生を振り返る姿が蘇ります

 

今から、約2000年も前に書かれた文字たちが、今に至っても影響力を持ち続けているだけでも、彼の凄さがひしひしと伝わってきます!

 

 

『自省録』で僕が、とくに学びのある文を抜粋しました!

 

『自省録』は全部で12巻からなっています。(書いた日はそれぞれ異なるため)

 

*約2000年前の世界の人の考えです。

 

「今を生きよう」

第4巻
18:隣人が何を言ったか、行ったか、考えたかは眼中になく、自分自身が今何をしているかということのみに注目して、この行為そのものが公正で敬虔なものとなるように努める人は、何と多くの閑暇を得ることであろうか。換言すれば、よい走者のように、キョロキョロせず、一直線上を、視線をまっすぐに保って、ふらつかないでくれ。

 

今の時代になっても、「他の人が自分をどう見ているかに執着するな!!自分のやりたいもの、やっていることだけに集中しよう!」と頻繁に叫ばれています

 

 

古代ローマの時代からもそんな考えを持つ人はいました

 

 

やっぱり人間はどうしても、他人の目をきにしてしまいがちで、他人にとってどうであるかが行動基準になってしまいますよね(マルクスは、人間は社会的連帯の動物と例えている)

 

でも、「真にその行動や言動に納得できるかどうかは、自分の心が決める!」

 

とマルクスはつづってました。他人をものさしにせず、自分を見ろ!とのことです

 

 

「自己欺瞞と無知はあかん」

第6巻
21:もし誰かが私を批判し、私の判断あるいは行為が正しくないことを示してくれることができるならば、私は喜んで改めるだろう。なぜなら、私が求めているのは真実である。これによって損害を受けたものは、未だかつて1人もいない。損害を受けるのは、自己欺瞞と無知に留まり続ける者である。

 

帝国の最強の立場として君臨する者の発言として、ただただ感嘆に値

 

どれだけ身分や社会的地位が高くなろうとも、謙虚で誠実な姿勢を保てと、自分自身に言い聞かせています

 

今の世界も全く同じですよね。。。自分やったしまったミスに言い訳をしていると(自己欺瞞や無知)、後々自分に跳ね返ってきます

 

でも、他人の指摘を受け止めるのことは、少し抵抗ある人も多いはず

 

なぜなら、今の自分が否定されているのでは...?と考えてしまうから。しかし、君が否定されたわけでなく、君の行為の事実のみが、指摘されただけであるので、それを正して、「本当に求められているものだけ追求せよ!」という教えなのです。

 

 

「堂々と助けを求めよう」

第7巻

7:他人から助力を受けることを恥じるな。君に課せられているのは、城壁攻略の際の兵士のように自己の任務を遂行することである。さてそこでもし君がビッコをひいていて、独りでは城壁を登れないが、他人の手を借りるとそれが可能な場合には、どうするか。

 

「人間は独りだけでは生きていくことがでいない。人間は、社会的な繋がりを必要とする存在である!」というのが、マルクスの一つの考えでした

 

でも、他人の手助けを借りてしまうと、迷惑とか負担がかかってしまうのではないのかなど思ってしまいますよね

 

しかしマルクスは、「助力を受けることを恥じてはいけない!」とし、自分も同じように助力を必要とされたら惜しみなく助けてあげよ!とも言っているのです

 

その全ては、「人間は他人無しには生きることのできない動物であることを知っているから」としています

 

助力を受けたら感謝も忘れてはならないと言っていたことも忘れてはならないことですね

 

「必ずアンチが湧くぞ」

第7巻

36:「善いことをして悪く言われるのが王者の役割である

 

ただただ、カッコイイ威厳のある一言。この言葉をいつどのように悟ったのでしょうか

 

王者であるには、王者以外の全ての人々の意見を受け入れて、それを叶えてあげなければなりません

 

しかし、政策をひとつとっても、全てのローマ帝国の人々の希望を叶えてあげることなんて不可能なのです

 

なぜならば、人の境遇、感情、価値観なんてばらばらだから

 

マルクスは、その行為や判断を「善」としていても、あるひとりの者にとっては、不満や批判の対象かもしれません

 

どんな「善」を与えても悪く言われるのが王者の運命。であると言うのです

 

今の時代にも通用しますよね。王者とは言いません。普通の人間関係においてでもです

 

自分では善いと思う”発言”や”行動”を起こしても、ありがとうと言われるとは限りません

 

むしろ、悪く言われてしまうケースだってあるわけです

 

「善」と思うことが全てでは無いのだ。という教えかもしれないし、そのくらい人間社会は複雑なんだっていう言葉なのかもしれません。

 

第10巻

27:不断に思え、現在起きている全てのことと同じようなことが、以前にも起きていたそのありさまを。また将来もそのようなことが起きるであろうことを思え。そして、君自身の経験から、あるいは前代の歴史から君が学んだ限りの、もろもろの演劇ともろもろの場面ー全て同じような内容のものーの全体を眼前に思い浮べよ。例えば、ハドリアヌスの全宮廷、アントニヌスの全宮廷・・・・・それらの演劇は全て現在のと同じようなものであったのだ。ただ演じる役者が違うだけで。

 

歴史は繰り返される・・・!これはすでにマルクスが唱えていました

 

しかも、演劇と役者を例えにです。例えば、戦争を繰り返してしまことは、人類の定めであるという。

 

劇場(フィールド)は違うけれども、戦闘員(演者)は違うけれども、行われている戦争(劇場)はいつの時代も同じなのです

 

昔の演劇をよく観察することで、未来の行動を変えられることもあるわけです

 

歴史から学んで今の行動に移せ!という教えも、マルクス自身も大切に思っていました

 

「怒る前に、考えよう」 

 第10巻

30:誰かの過ちが気に障るときには、直ちに方向を転じて、君自身も類似のどんな過ちを犯しているのかを反省せよ。例えば快楽あるいは名声、その他この類の各種のものが善であると判断するなどの。というのも、この点に留意するならば、彼は、過ちを犯すように強いられているのだということが同時にわかって、君はたちまち怒りを忘れるであろうから。なぜなら、彼が他の何をなしうるであろうか。それとも、もし君にできるならば、その強制を彼から取り除いてやるが良い。

 

人間はいつだって怒るときがあります

 

しかし、マルクスはその怒りは思い込みであると言います。(難しく言えば)その怒りを抱く行為自身には、何も意味はなく、その行為自体に自分が怒りという感情を貼り付けているだけなのです

 

だから、自分の意識を変えることで、”怒り”というものをコントロールできるのです

 

この文章では、怒りに対して寛容になるということが書かれています

 

人間みんな間違いをします。だからこそ、誰かの間違いを気になってしまう時には、自分も同じ間違いをしたよなあぁと思い返してみよ!というわけなんです。そうすると、怒りではなく、憐れみの感情を抱くことができるようになって、より懐の広い人物に近くであろうということです・

 

 

さすが哲人皇帝

この世の誰よりも、富や名声を手に入れた後の世界観なんてわかりっこありません

 

(おそらく僕だったら、うはうはして調子乗ってます)

 

 

事実、マルクスは富も名声も全て手に入れた人物です

 

そしてこのような”禁欲主義”の考えを持つに至ったこと、そしてそれを行動に移していたことを考えるとなんて偉大なんだ!ということが理解できるはずです

 

人が幸せを感じるときは、単なる”快楽”とかではないでと彼は言ってました

 

”快楽”とは、人間的な基本的な欲求から、他人に賞賛される名誉などです

 

自分が自分で思う「善」の行動をし、落ち着いた精神状態の時にこそ、本当の幸せを感じることができるのだとも言っています。実に深い・・

 

この世の全てを手にした後の世界は、このような思想が展開されるのでしょうか。人の一生は、一筋縄にはいかない。そんなことがひしひしと伝わる一冊でした