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ユダヤの歴史より、知恵・知識を伝えるということの大切さ【ユダヤの教え】

ユダヤ教と聞いて、みなさんはどのようなことを思い浮かべますか?

国として、地中海の東岸に位置している、イスラエル、

食事や、結婚などの戒律や、ユダヤ教の教会”シナゴーグ”、

そして学校の授業で教わった、ナチスによる大迫害を思い浮かべるかもしれません。

 

*現在のイスラエル 

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一方で、ユダヤといえば、偉大な知的人物だったり、大富豪を思い浮かべるかもしれません。

 

相対性理論のアインシュタイン、『共産党宣言』を書いた、カール・マルクス(マルクス経済学)、そして大富豪、金融財閥のロスチャイルド家、Facebook創始者、マークザッカーバーグもユダヤ系であると言われています。

 

ユダヤの迫害のはじまり

ユダヤの知識・知恵の伝播のありかたを語る前に、迫害の歴史をみて見ましょう。

 

一般的に、キリスト教創始者、イエスを殺した存在として、ユダヤは迫害の歴史を紀元後は理解されていますが、紀元前(イエス誕生以前)からも、奴隷生活を虐げられていました。

 

飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになった。しかし新たなエジプトの王(ファラオ)がイスラエル人(ユダヤ人)の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などに使役することになった。ファラオはイスラエル人の反発を恐れ、男の子を皆殺しにすることを命じたが、一人の男の子だけは葦船に乗せられて助けられた。その子が成長してモーセとなる

 

【出エジプト】

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  • 紀元前14世紀の出来事、『出エジプト記』は旧約聖書の2番目の書。
  • 名の通り、虐待を受けていたエジプトにいるユダヤ人たちをモーセが脱出に導く。

【バビロン捕囚】

虐待・殺戮の環境を逃れた出エジプトから数年にも渡り、各地で迫害は続きました。

特に、歴史の中でも、

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  • 紀元前597年、新バビロニア(当時の王国)の王により、捕虜として連行。
  • 虐待の最中、ユダヤは宗教の繋がりを強め、民族の在り方を再考、律法を重んじる、ユダヤ教の確立へ。

 

このように、遊牧・牧畜を営んでいた、ユダヤの迫害の歴史が始まるのです。

時代は、古代、中世、近世と移っていきますが、特に、宗教的な理由と(イエスを殺害したのはユダヤ人)、経済的な理由(他宗教の人々よりも金銭を蓄える)によって、集団的な迫害の歴史を歩むことになるのです。

 

知恵・知識に対する、ユダヤの教え

 

迫害とは、お金、家、財宝など、かたちあるものが奪われ、奪われたその人も差別的な虐待や処刑される運命にあることです。ユダヤ教は、まさにそのような境遇の中、醸成されたと言っても過言ではありません。

 

 

では、どうして迫害という人類史の中で決して無視できない悲惨な境遇にもかかわらず、カール・マルクスやアインシュタインなどの知識人としての偉人や、ロスチャイルド家などの富豪が生まれたのでしょうか???

 

*全世界のユダヤ教人口は0.25%に対して、ノーベル賞受賞者の20%を占めます。

→この事実はとてもつもない、知識人として偉大なユダヤの現実を反映していますよね。

 

こうした歴史の上で、僕がとりわけ好きな、ユダヤの教えがあります。

それは・・・

  

 

『奪われないもの、それは知識である。』

 

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かたちのあるものは、全て奪われてきました。家族、財産、家、全てです。

非常に、残酷で、悲惨なものです。

 

俺たち、私たちは、生き残ってゆけるのか。と。

そこで、彼ら、彼女たちの、結論が生まれてくるわけです。

 

家も焼かれてしまう、金銭も根こそぎ奪われてしまう、家族関係もバラバラに割かれてしまう。

 

その中で、心の中に宿る、知恵こそ、知識こそ奪われることのない財産である。

と悲惨な境遇を生き残ってゆくための、突破口が見出されるのです。

 

 

それは、宗教的なユダヤ律法の団結、知識・知恵の団結でもありました。

 

みんなで、今日知ったこと、学んだことを共有して、それをまた誰かに伝えよう。

知識を伝え合うことこそ、奪われない最強の防衛術であるというのです。

 

このようにして、世界各地でばらばら(ディアスポラ)の運命にあったユダヤですが、

生き残ってゆく術としての、知恵・知識を伝え合うこと、共有しあうことを彼らの心の根幹としてきました。

 

ユダヤの知識を伝えることは、何を伝える?

ここで、僕も思うのです。

何かを知っていることは、絶対に奪われることのない財産であって、

しかも、財産があるからといってその何かを知ることもできません。

この考え、とても好きです。

 

(未来には、人の頭の考えを抜き取れる装置も発明されそうですが笑)

 

みんながそれぞれ、知っているもの・知らないものがあるはずです。

しかも、その知っていることはプライスレス、

価値の計り知れないものであることをもう一度自覚してもいいのかなと。

 

ただ大切なこととして、何かを知らないことを恥ずかしく思わないこと。

そして、何かを知っているからと言って傲慢な態度とならないこと。

 

この2点が、人間の知識サークルの循環と知恵の共有を滑らかにすることでしょう。

知識・知恵の伝播は、何も先生と生徒の一方通行的なそれというわけではありません。

 

ママ友達どうし、学校の友達どうし、恋人どうし、職場の人どうし、

今日知ったことを伝えあってみてはどうでしょうか。

 

ユダヤの歴史より、知識の凝縮とは、このようにして発生するのです。

 

参考URL:

matome.naver.jp

chiba-chiba.com

 

matome.naver.jp

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