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お金があるほど幸せとは限らない説!?【あたりまえをあたりまえに思わないことが大切です】

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こんにちは、まこさん(@sHaRe_worlD_) です。最近は経済的な豊かさ(お金)と人間的な幸福(幸せ)の関係について調べてます。

 

専門は歴史学なのですが空いてる時間に興味あることをただただ調べるってたのしーーーです←

 

  • お金があるということ
  • 幸せを感じるということ

2つの間の相関関係について無限な議論が続いている昨今ですね。本記事では『お金と幸せ論』について語ります

 

▼以前執筆した関連記事を参考までにどうぞ

 

 年収750万円までは幸福度は比例して上がりますが、それ以上となると、幸福度は上がらないという研究論文がある。という話でした

 

しかし、僕みたいに社会に出てない大学生でも「必ずしもお金が増えるにつれて、幸福度の向上が伴わなかったぞ?」という体験があるんです

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お金と幸福度の相関関係の原体験

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小学生の頃、お小遣いは月1500円でした。大金!!!!

 

おやつや遊戯王だったり、テニスボール・・典型的なガキンチョ少年時代を謳歌してました

 

ポケモンとかが友達の間で流行ったりして、ゲームソフトは僕にとっては高級品。

 

誕生日やクリスマスなどの一大イベントの時にやっと手に入る、喉から手が出るほど欲しいものでした

 

そんな少年時代の時のゲームソフトが手に入る感覚といったら、なんて表現したらよいのでしょう、ただただ、たまらなく嬉しかったんですね。「早く開けてプレイして、友達と遊びたいぃぃぃぃぃ!!」

率直にそんな感じでした

 

手に入らなければ、それはそれで外で鬼ごっこやドッジボールなど、お金のかからない遊びをひたすらやったり、手に入ったら、それはそれで時間を忘れるほどに、ハマリ込む。

 

・・・すっごく幸せでした

 

ゲームソフトが手に入らないでいた時も、手に入った時も、その後も

 

今はその価値観が変わった

 

今となってはどうでしょうか

 

人並みに、ゲームはもちろん好きです。あの頃と変わらず。世界が広がる感じ、たまらなく、好きです。

  

ただ、、、金銭的に買うことが難しく、やっとの思いでプレイできる喜びがそこにはなくなってしまったのです

 

4000円や5000円の値段は、バイトとかなんなりすればすぐ1日、2日で、いとも簡単に払えてすぐさま手元に置けてしまうリアルを手にしたからです

 

同じ『ゲームソフトを買う』という行為にも関わらずです

 

当然ですが収入が増えるとこれまで手に入りにくかったものが、手に入りやすくなります

 

しかし、手に入りやすくなったということは、それを噛みしめる幸せが薄れてしまう人間的な感覚の現れでした

 

お金が増えれば増えるほど、欲しいものは買えるけれども、必ずしも幸せとか幸福感ってのは伴って来ないんだよ

 

とゲームソフトは教えてくれました。

 

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価値観は二項対立で成り立つ?

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ものごとは、二項対立を行ったり来たりして成り立つと考えてます

 

例えば

 

買えない状態が長くあったからこそ、買えた瞬間にそのギャップでものすごく嬉しい 

 

 

しかし一方で今は・・

 

買おうと思う状態から、買うという行為なので、そのギャップがそこまで大きくならず、そこそこ嬉しい。 

 

この違い、わかりますかね〜〜??? こんな状態かと思います

 

 

お金と幸せの関係、もしくはお金とものと幸せの関係と、ずっと付き合っていかなければなりません

 

これは『ゲームソフトを買う』という行為からいろんなことに置き換われるはず

 

 

『財布を買う』だったり、『リッチな外食にいく』だったり、様々です

 

そこで、『ゲームソフト』から学べるお金と幸せについて、これからもお金を手にするようになってからの、思考の技術があるはず

 

人間は誰しも、幸せという空想的・概念的な充実を感じる権利がありますからね〜〜

 

解決策:少しずつ基準を調節する 

『ゲームソフトを買う』という行為をいとも簡単にできてしまうのがここでの問題でした

 

「買う行為」を思った時に、いつでもできてしまうから少年時代と比べて幸福度はそこまで高くはならないからです

 

じゃあどうやったらゲームソフト1つで幸せを感じれるのかっ!て話ですね

 

それは、

 

少しずつ、少しずつ、ゲームソフトに近づくこと

 

あるいは時には、

 

少しずつ、少しずつ、ゲームソフトから遠ざかること。

 

だと思います

 

簡単にゲームソフトが手元に届かない環境を意図的に作るわけですね

 

簡単に手に入ってしまうと人間は満足にいたらなかったり、それに完全に慣れてしまって幸福感を得られなくなります。これは少年時代から今に至る経験からの学びです

 

基準を調節する方法はこんな

それにはいろんな方法があって、

  • ゲームソフト専用の毎月500円貯金を作ること
  • ボーナスが出た時の、ご褒美にすること
  • 1ヶ月ゲーム禁止で、勉強時間に置き換える時間を作ること

 

ゲームソフトへ少しずつ近づけたり、遠ざかったりする方法があります

 

一言で『我慢期間の創出』です

  

意図的にこれを作ることで、なかなか手に入らない状態から手に入った状態のギャップ幸福を感じられるようにします

 

これはゲームソフトだけでなく、他の対象に置き換えられるのは、先にも述べた通りです。何でも良いでしょう

 

人間という発達した脳を持つ動物は、実にやっかいで、一筋縄に行かない頭脳の仕組みを持っています

 

同じゲームソフトでも簡単にゲットできる今の方が幸せではないなんて、少年の頃は思ってもなかったです

 

むしろ大量にゲーム買ってやるぜ。って言ってたかな・・・←

 

結論!!

 

お金が増えれば増えるほど、欲しいモノが欲しいだけ手に入るほど、幸福度が上がっていくわけではない

 

という先行研究からこのような思考方法に僕はたどり着きました

 

お金とモノと幸せの関係と、死ぬまでず〜〜っと付き合う中で、ひとつ気づかせてくれる原体験をゲームソフトは僕にくれましたとさ。

 

ぜひ参考になったら幸いです😌