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荒れ狂う人の一生!!

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新卒就活生が『自分が信じていることを疑う勇気』を読んでみた感想

自分の”存在”はもしかしたら、”存在”ではないのかも??

・・・・・いやいや。そこまで疑ってしまっては末期ですぞ。

 

今目の前のことを疑ったり、批判的にみたりする視点は、

イノベーションに欠かせないんです。(自論)

 

では早速内容に。。

そんな昨今、読ませてもらった著書がこちら!

 

自分が信じていることを疑う勇気

自分が信じていることを疑う勇気

 

 

結論を先取ってしまうと、

著者は、経験や常識を疑うことでの、物事への新しい視点の大切さを説いています!

 

思いもよらなかったアイディアは常に、経験や常識からの逸脱からくるのだ!!

 

では、早速内容と、僕の思うことをざっくり残しておきます!

 

経験を疑う

経験を疑う経験を疑う未経験のことを実行する際、私たちは過去に経験したことの範囲だけで物事を判断しようとしがちである。しかし、「現時点でアイデアの実現方法を知らない」と「そのアイデアを実現できる」は本質的には関係ない。アイデアは現時点で実現していないからこそ、アイデアとしての価値がある。アイデアを思いついた時、それを実現する方法を知っている必要などない。わからなかったとしたら、見つければ良い。最初から完璧にわかることなどこの世には存在しない。むしろ確実・完璧なことがあったら、それこそ疑わなければならない。無意識に「予定通りに進んだ方が良い」と考えてしまっているのが問題である。私たちは「知っていることしか知らない」ということを再認識しなければならない。必要なのは、アイデアを実現する方法を知っていることではなく、実現する方法を認識できるようになることである。

 

 ▶︎:キーワード=「知っていることしか知らないということの再認識」

 

どこかで、聞いたことありませんでしょうか?

あのギリシャ哲学の巨人ソクラテスの言葉と似通ったニュアンスではありませんか?!

 

『無知の知』自分の知識が完全ではないことに気がついていること。つまり、無知であることを知っている点において、知恵者・知識人と自認する相手よりわずかに優れているする説。

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悠久の歴史を超えて、本質なるものは、おんなじなのですね。

知らない領域に貪欲に探りをかけてゆく。

 

そうすることで、現時点で実現されていない、価値のアイディアに遭遇することが可能となるのですね。

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二者択一を疑う

二者択一はそれ以外の可能性を切り捨ててしまう考え方である。この思考に陥ると、異なった考え方を持つ人々と対立したり、変化が求められる際に柔軟な思考ができなくなったりする。

アイデアを実現する際にも二元論は実現の可能性を狭める。世の中は、白でも黒でもないことがほとんどである。目的地は同じでも、色々な行き方がある。どれかが絶対に正しいなんてことはありえない。

 

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▶︎:『AかB』という二者一択

 

⇨つまり、それ以外の突破口のポテンシャルを持つ何かへの視野を狭めるというのです。

 

融通のきき、柔軟性のある考え方は”可能性”を広げる意味で大切。

 

YESNO正解不正解の単純な世界でなく、

 

それ以外の第3、第4の切り口からも、その最終ゴールへと到達できるというものだ。

 

【僕的自論】は、二者一択も場合によりけりで、決断の絶大な速さがあると思うのです。例えば、僕がダイエット中だとしましょう。そこで、常にアクションを2択にして、常にベターなものを取るようにするのです。

 

A:エスカレーター B:階段 ・・⇨A:ガリガリ君 B:ジャンボ(チョコモナカ)

 

そうしたことを繰り返し、常にベターなものを選択するようにすると、

可能性といった文脈にはそぐわないかもしれませんが、圧倒的なスピードで物事が進んでゆくのです。(余談でしたっっ)

 

 

 

常識を疑う

モノクロ思考を生み出す一番の要因は「思い込み」である。思い込みによって盲点が生まれ、モノの見方が偏る。思い込みが強いほど、また数が多いほど、極論に陥りやすくなる。

世の中には「守らなければならない」と思い込まされているルールが多くある。何でもかんでも盲目的に信じてしまうと、目の前にチャンスが転がりこんでも、それを認識することができない。チャンスは常に存在しているが、認識できなければ意味がない。思い込みから目を覚ますには、漠然と信じていることを一度疑ってみればいい。

私たちは自分が信じているようにしか物事を見ることができない。そのことを理解していないからこそ、「自分の目に見えるものだけが真実なのだ」という信念はさらに強化される。盲信していることを一度疑ってみることで、これまで見えていなかった世界や可能性が見えてくる。

 

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▶︎: 自分の見えているものだけが真実、ではない。ということ。

 

『出る杭は打にたれる』、常識からの逸脱者は叩かれる。

 

そんな言葉があったりしますが、特に僕たちは、「右ならえ教育」を受けてきました。

 

その背景には、戦時中の富国強兵政策などが反映されて、今も残っているのです。

 

暗記型、詰め込み型の教育がいい例です。

教科書が絶対。教壇に立つ賢者が絶対と。

 

正解か不正解の教育、もっと言えば、

教科書通りでない不正解が叩かれる教育。

 

そんな初期の洗脳の影響から、自らを解放することが、常識を疑うことへのファーストステップであるのです。

 

そんなことを経てようやく正解不正解ではない、点数化できない、初めてやっと自由な発想ができると思うのです!

 

常識をぶち壊しましょう!!!!!

 

 

因果関係を疑う

 

高度に発展した現代社会では、様々な要因が絡み合っているため、全体像を正確に理解しにくくなっている。現代社会は何が成功要因で、何が失敗要因かを見極めるのが非常に難しい。現代では1つの因果関係を見誤ることで、全体を大きく取り違える危険性がある。

実際、多くの人が思い込みや信念が原因で偏ったモノの見方をしている。これはコグニティブ・バイアス(認識の偏り)と言われるもので、自分の考えと辻褄を合わせるように物事の因果関係を捉えてしまうことである。バイアスがかかった状態でパターンを探し出そうとするため、私たちは物事の因果関係を見誤ってしまう。そして、それが原因で新たな可能性を閉ざしてしまっている

コグニティブ・バイアスを防ぐために重要なのが、視点を上げることである。高い視点を持てると、自分のいるフィールドを越えて、チャンスを見つける機会を増やすことができる。

 

 

 ▶︎:偏見やバイアスは、そもそも人間は皆持っているのです。

なんだかんだ言われようとも、人間は頭・知恵を使う動物です。

 

そのものやその人の外見や経験から、ある程度カテゴライズしてしまうのは、

 

頭・知恵を使ったりするのが、人間としての性であるのです。

 

ただ、ものごとの原因や結果を予測する時に、危険だということですね。

 

ここで、自分ではない第3者の意見を参考にすると、どれだけ自分の考えが偏っていたのか、それがわかるようになります。(経験上)

 

「視点をあげる」ということは難しいです。

 

やっぱり手取り早いのが、

他者からの客観的な意見をもらうことです!

 

価値観を疑う

常識を支えている正体は「価値観」である。特定の価値観を受け入れることで、常識という行動規範が共有される。だから、価値観の異なる集団に入ると、自動的に常識も変わる。

いきなり常識を覆そうとすれば抵抗が生じる。そこで大切なのは、常識を肯定も否定もせず、その根底にある価値観から一度距離を置いてみることである。既存の価値観から自由になれば、表面上は常識に従いながらも、新たな可能性を見出せる。

 

・共有された価値観=常識

⇨ではその、共有された価値観を僕ならどうやって疑うか??

 

【例】

腕時計をつけること=社会人としての常識。

 

著書では、その常識を肯定も否定もせず、

距離を置くことが大切とする!

 

また、いきなり常識を覆そうとするのもオススメできない。

 

『果たして腕時計をつけることが正義なのか』

と、なんだかんだで腕時計を付けつつも、疑問を持つ姿勢がこれから大切で、あたりまえからの脱却に繋がる!

 

すると、腕時計の本質は、いつでも時間を確認できる機能性にある。

 

▶︎:・その機能をスマホで代用できたり、今や色々なところで確保できる。

  ・むしろ、腕が縛られちゃうし、いらないんじゃないか?

  ・いや、社会人の外見ルックスとして、腕時計は常識の一部なのは否めない。

  ・腕時計を付けないのは、相対的に、ダメなやつというレッテルを貼られかねない。

 

 

・・・あたりまえのように、あたりまえの仕草をすることへの疑いの例です!

 

なにも腕時計だけが対象となるわけでもなければ、非常識をススメているわけでもないです。

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     お わ り に

・これからの時代はますます、ロボットや人工知能では代替できない、人間の人間による独創性創造性が非常に求められているでしょう。

 

・それらは、新しいものであるからこそ、真価を発揮できるのである。

 だからこそ、”創”の字がつく。

 

・新しいものに気づくことは、信じることを疑う。あたりまえを疑う。それがスタート地点である。そんなことを著書は僕に伝えてくれた。

 

・結局、僕が僕であるのは何故なんだ。そんなオチに繋がってまう。

 

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