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荒れ狂う人の一生!!

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失ったものに気づく幸せの疑似体験が鍵?!【脱あたりまえライフ】

ヒューマンビーイング、人類の最大目標、人生の最大目的、『幸せ。』

 

空想的、思想的な内容、けれど、良い気分で毎日いるために欠かせない思考の術を妄想する。

 

やはり、人間はあたりまえに慣れると、幸せを感じにくい。

とはいえ、あたりまえというのは、あたりまえになっていくのがあたりまえ。

 

それはどの国の、どの人にでも言えること。

 

幸福度ランキングをみても、先進国がトップを占めるのではないことにも繋がったり。

 

便利な社会だったり、ちょっと抽象的な表現を使うと、経済的な成熟社会では、

 

やはり、”幸せ”を感じ取る力が鈍い傾向にあるとおもんですなあ。

 

例:百獣の王、武井壮の幸福の価値観も参照できるはず。

www.youtube.com

 

 

『幸せ』という定義を巡ってはその議論の数は枚挙にいとまがないので、詳細は割愛。

 

しかし、『幸せ』は手に入れるものではなくて、存在であり、気づくもの。

 

 

お金とか、女とか、男とか、豪華な食事とか、有名になることとか、

確かに、幸せを構成するひとつのその人にとっての材料の一部かもしれない。

 

もちろん、財的なものを手に入れる行為のみでは、永続的な幸せには届かない。

 

 

・・・そんなことはよく聞ける、幸せについての話だろう。

 

 

では、どうやったら、その形而上的な、存在としての『幸せ』に届くのだろう。

一つのあり方として、それは、考え方にクセをつける、そんな気がする。

 

 

あたりまえを失ったらどうか、消えてしまったらどうか、これを脳内妄想。

 

コレに尽きる。

モチベーションにも、正のもの、負のものがあるけれども、

例えば、受験で失敗したくない、だから頑張る(負)

 受験で成功して、やりたいところに進学したい(正)

 

この理屈にやや似通っていたりする、負のモチベーションに近い考え方。

 

当たり前にある、当たり前なものごと、それが無くなったらどう思うか。

加えて、その無くなったらどう思うか、という考えを続けられるか。

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超絶、シンプルで。そんなことかよ、当たり前やわ〜と思われるかもしれない。

でも、なんでもある、不自由なく生活できてしまう成熟社会では、欠かせない思考法なんや。

 

 

ふーつーうの毎日のように、あたりまえに友達と下ネタでしょうもなく過ごしたり、

あたりまえのように、半ば作業的に、学校に通いつめたり、あたりまえのように、一日中引きこもってのNetflixとかゲーム・・・

 

 

・・・数え切れるわけない。そんなあたりまえなんて、人にとって、無限にある。

大切なのは、存在としての幸せに気付けるか否かである。

 

 

なんかしょうもない廃人的な1日や〜と家に引きこもる、そんな考えよりも、

今が自由すぎて・・これが無くってしまって、休む暇もない状態よりも断然幸せ。

 

といったように、(具体的なおもろい例を出せなくてすまない。)

 

 

『失って気づく幸せ。』っていうかなり臭い素晴らしい文言があるが、

自由な生活だったり、健康な生活だったり。

働きづめで自由が無くなったり、怪我や病気などして、健康な生活が送れなくなったり。

そんな時に、『あああ、俺って幸せやったんや』っていう幸せの形態のことやな。

 

 

つまり、この記事で言いたいことは、

『失って気づく幸せ。』を噛み締めているであろう自己の未来像を想像すること。

 

今あるあたりまえな生活に鬱憤があったり、あたりまえな生活にもう散々であるならば、尚よいかもしれない。それが無くなったら、きっと、『失って気づく幸せ』状態になるだろう。

 

であるならば、ヒューマンビーイングの授かった脳みそとその仕組みをフルに使ってしまえば、友達とか、家族がいなくなった生活、あたりまえから逸脱した生活できるのである。

 

『失って気づく幸せ』を疑似体験すれば、その日、その瞬間に感謝できるのかもしれない。

思った以上に、存在としてのそれに、気付けるきっかけを与えてくれるものだ。

 

 

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