ムカつくわああああ!
イライラなネガティブ感情が湧いてしまったとき、心の浄化(カタルシス)が重要なポイントになってきます
心の浄化(カタルシス)を図るために斎藤先生は3つのことを具体的に実践しているそうです
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➀愚痴る
「ネガティブ感情をメンタルに影響を及ぼす毒素と考えれば、愚痴は心のデトックスともいえます
とあるように、無意識にイライラしている根源を整理し、口にすることで、毒素が吐き出されるだそうですね!
たしかに、何か嫌なことがあった時に、気が置けない友達と愚痴り合うことで、スーッするものです
どんな凄いと讃えられる人もみんな人間なんですね〜
②歌う
「心に抱えたネガティブ感情を、感情移入と自己表現という手段で解放できる快感を得られる場所」
と、カラオケをかなりゴリ推しされています
歌うの語源は「訴う」で、自分の気持ちを歌詞という言葉にして訴えること!
カラオケでマイクを用い、感情を込めて訴えることで、イライラが吹き飛ぶのだそうです!(自分は下手なのでむしろイライラ・・・)
③芸術に触れる
”悲劇”を観て、相対的に”自分の方がまし”であると思い込むこと!
「他人の不幸や困難を利用して、自分のネガティブ感情を浄化する。」
「他人の不幸は蜜の味」といった表現を用い、人間誰しもこの側面があります
歴史的に”悲劇”がつくりだされたのも、こういった心の浄化が目的とされていたみたいですね
また、太陽、空、海、など「永遠性」を感じさせてくれるものをじーっと眺めることで、一喜一憂している自分を我に帰らせるといった方法も述べられてました
僕もよく近くの河川敷でぼけーーっとしながら珈琲を飲みます
これらが斎藤先生があげていた主要なカタルシス方法!
他にも...
- 雑事や雑務に没頭する
- 深呼吸する
- 好きな曲をリピートして聴く
- ルーティーン、リピート(毎週日曜日はちびまるこちゃん、サザエさんをみるなど)を大切にする
などが挙げられてました
じぶんの経験を振り返っていろいろ試してみてくださいね
最後に人間関係からくる「イライラ」について書いてありました
『淡交』がイライラ解消のポイント
私生活では絶対に見聞きすることのない言葉です
中国の大思想家、荘子による言葉!
「君子の交わりは、淡きこと水の如し」
「小人の交わりは、甘きこと醴(甘酒)の如し」
人間関係において、深入りせず、ベタベタせず、あっさりとした淡い交わりを”淡交”呼び、遥か昔の時代から理想とされてました
「ここで重要なのは、交わりが淡い=相手への感心が低く浅い付き合いというわけではないことです。」とあるように
むしろ、関係が深いから相手の心の裏側までズカズカと立ち入りせず、あれこれと詮索せず、互いの感情に負担をかけない関係を理想としてます
また、「淡交の極意とは、来るものは拒まず、去るものは追わず」との心境であると斎藤先生は語り、「来る自由と去る自由」どちらの自由も尊重するに値する意味です
ここで、相手との関係に”過度な執着と依存”をしないのが、現代に当てはめられる淡交であると思います
SNSの発達のおかげで、いつでもどこでも人と繋がれるのは周知の事実!
LINEの既読スルー、未読スルーへの執着だったり、早急の連絡を強要するような恋人のプライベートをなくしてしまう過度な依存だったり...
いざこざをもたらしてしまう過度に執着しがちな関係から、現代には荘子の”淡交”から学べることが多くあると思いますね
- 常にネット経由で誰かに監視されている感
- SNS上の誰かの行動た言動に反応すべき義務感
- すぐに連絡しなければ相手に申し訳ない感
- 好きな人が今何をしているのかをすぐに知りたい感
- そういった相手に感じるめんどくさい感
現代ならではのシガラミ感情ってありますね
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近すぎず遠すぎず、付きすぎず離れすぎず。
そんな淡交に遥か昔から通ずる真髄があるはず。
人と知り合って気が合うことに互いが気付き、やがて友達、そして親友になります
本音をぶつけ合ったり、大喧嘩したり、また仲直りしたり人間関係は流動的なものであると思います
互いの距離が縮まってゆくにつれて本音と本音でぶつかりあうことは人間関係の構築上大切であるとおもいますが、
”執着”と”依存”からの脱出の観点から『淡交』は現代社会に新たな気付きをもたらしてくれるのだな!と、共感を得られた素晴らしい本でした!
明日から「淡交」を実践していきましょーか!