しぇあ・ざ・わ〜るど

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グローバルヒストリーの時代やで!

お金の数値は社会の「感謝」を意味してる!お金を使う・稼ぐことは悪くないってことだよ!

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お金を使うことへのある種のためらいや支出への恐怖を抱いてました。

恐怖を和らげてくれたひとつの”考え方”をシェアします

 

例えば、僕みたいな苦学生は、「お昼ご飯は牛丼に500を使うべきか、焼き芋で我慢して150円に押さえておくべきか、そうすれば350円浮くのになあ」と考えちゃいますよね  

 

「お金と節約」、「お金と贅沢」、「お金と貯蓄」などお金が財布から出ル時に生まれる葛藤や躊躇感って厄介だけれど、ずっと付き合って行かないといけません

 

「今日はいくらお金が使えて、いくら今月まで残しておかなければならない。

そうなると、あれが買うことができないな、つらいな。でも我慢だ。」

 

など、なんとも形容し難い感覚が脳内にまとわりついてしまう症状。 

 

とても無機質な資本主義社会の1体のコマとして生かされてる気分になるし、

なんか人として狂っちゃいそう・・

 

そこで、考えるわけです。

 貨幣の起源をさぐってみる

そもそも、貨幣とは・・かつての”物々交換”をルーツにしてます

 

「なあ、お前の貝、このどんぐりと、交換してくれよ」

「うぃ、ありがとう、また頼むよ」的な会話が当時では普通でした

 

そこで、無機質な貨幣社会の感じから脱するきっかけは、

この”ありがとう”の言葉にありました。

  

当たり前すぎて忘れていたことでした。

 

牛丼一杯にしても、牛を飼育してくれる方々、米を栽培してくれる方々、牛丼を調理してくれる方々、牛丼を私のテーブルに運んでくれる方々に対して、

 

”500”のありがとうが込められているということですよね。

 

仮にどんぶりを落とし割ってしまって1000円の弁償だとしたら、

”1000”のごめんなさいということになりますよね。

 

 

お金の動きは、ありがとう。とごめんなさい。を仲介するしか見られないはずです。

貨幣は御礼や謝罪をするための手段でしかないということですね。目的ではなく。

  

 1000”円”ではなく、1000”ありがとうという単位になれば、

より豊かな消費社会になるのではないかなああ、ふと思った今日でした。

 

お金を稼ぐこと、使うことって、ありがとうって言ってるだけなので、

何にも悪いことなんて、ないんじゃないか、さえ思ったくらいです